うんざりブログ

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僕は ついてゆけるだろうか

 

 インターネットを中心に日々さまざまな提言が行われ悪しき伝統や古くからの習慣が姿を変えようとしている。個人が手軽に全世界に意見を発信できる時代になり、不正な行いはたちどころに衆人環視の下へと晒されることになった。かつて法律よりも優先していた『空気』や『雰囲気』というのはある種の権力を失った。誰かの生み出した『正しさ』を強制されていた人々にとっては希望の時代の到来だ。

 ハラスメントという言葉はもはや耳馴染みの言葉となった。セクハラ、パワハラアルハラとはじまって現在ではいったいいくつのハラスメントが存在しているのだろうか。到底すべてを把握することはできない。『ハラスメント』という言葉の増加はそれだけ多くの人が救われる可能性を示している。それはすなわちある被害を受けていた人々の苦しみが言葉として形を持ち世間一般に認識されるということであるからだ。

 社会はどんどんと変化していく。きっと喜ぶべき変化のはずに違いない。世界は陽が昇るごとに綺麗になっていく。やがては不当に虐げられる人が存在しない真に理想的な日々が訪れることだろう。そう願いたい。

 この令和の時代の流れに乗れない者は平成の遺物として扱われることになるのだ。彼らは社会に不要な毒を垂れ流す公害であり、時代遅れで頭の固い老害だ。残念ながらまさに僕自身がそうなるであろうことを感じている。

 

 僕の中にはこれまでの社会の在り方が常識や規範として根付いている。もちろんすべてを完全に受け入れているわけではなく多少の不満や疑問こそあるものの概ね納得してきた。対照的に世界の緩慢な曖昧さを良しとせず決して妥協することのなかった人々が悪習へと戦いを挑んでいる。

 しかし時代の大きな変化というのは、自身の世界の根底的な揺らぎだ。これまで自分や周囲を省みることのなかった代償だろうか、自分の感覚を疑うことなく無批判に生きてきたツケを支払う瞬間が刻一刻と近づいている。この先の綺麗な社会に僕はきっとついていくことができない。僕の中で凝り固まった価値観がアップデートを拒んでいる。

 残酷であるとは分かっていても家畜の肉を食べ続け、女性には『女らしさ』を求め、僕は『男らしく』あろうとする。悪趣味な冗句で笑って、遠くの他人の痛みには鈍感なままだ。

 思えば僕などは生きづらさを感じたことがなかった。

 

 現状の僕を見れば奨学金により多額の借金を抱え、しがないフリーターとして決して裕福ではない生活を送っている。僕も声を上げるべきだろうか?何かを社会や他人のせいにするのは難しくないような気もする。家庭環境だって良くはなかった。でも僕はやはり人生を概ね納得している。自分の努力次第で何とでも出来るくらいの環境は与えられていたはずだ。だから僕は少なくともこれまで幸福だったと言えるだろう。

 環境によっては努力ではいかんともし難いことだってある。誰かに虐げられて耐えられないような苦痛を感じることもある。そうなれば必然的に生きづらさを覚えてしまう。社会や他の人間を憎んでしまう。人生に絶望してしまう。

 人生の批判を自身に向けることのできる恵まれた環境と、世界を肯定的に捉えることのできる自分の運の良さに感謝しなくてはいけない。「明日から本気出す」という使い古されたインターネット・ミームを屈託もなく使えるのは実は簡単なことではないのかもしれない。

 ちょうど明日から新年度がはじまる。そういえば去年も僕は明日から頑張りたいといったような漠然とした内容の記事を書いていた。今年の秋は短かった - うんざりブログ

 もちろん自身の努力不足とは言っても完全に困窮してしまえば生きづらさを感じることだろう。そうならないためにも自律した生活を送っていかなければならない。また人々の痛みに共感して素敵な世界の一員となるべく感性を磨いていく必要がある。さもなければハラスメントの加害者として批判され肩身の狭い思いをすることになるのは目に見えているからだ。

 

 ところでフリーターの僕も新年度から住民税というものが給料から天引きされるみたいです。はあ?!!!!!!!!!!!!!うっせえわ!!!!!!!!!!!!!!!!!!生きてるだけで罰金かよ!!!!!!!!!!!!!!!!!死ねよクソ社会!!!!!!ファック!!!!!!死ね死ね死ねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!殺す殺す殺す殺す!!!!!!!!!!!!!!!コロス!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ボケ