うんざりブログ

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限りない透明とブルー

 

 その鳥はいつも何かを不満に感じていた。目に映るもの、耳にするもの、肌で感じるもの、すべてに怒りを覚えた。

 かつて森の中の湖畔にて喉を潤そうとしたときに自分の姿をはじめてみた。その湖の水はとても綺麗で透き通っていて、水面はまるで鏡のようだった。そのうち近くで小さな魚がピチョンと跳ねて、静かなほとりに穏やかな波紋が生まれた。水中に映し出されていた自分もまたその姿を揺らして、それはだんだんと大きくうねり、やがてまるで判別もできなくなった。

 それと同じことなのだろうか。世界の様相はほとんど自分の心を反映しているものなのかもしれない。鳥が世界を嫌うように、世界もまた彼を排除しようとしているように思われた。水面に映る自分の姿を見た時に感じたことがもう一つあった。それはあまりに奇異な自分の造形だった。醜いと言ってもよかった。それは彼の中に潜む怒りを説明するのに十分だった。世界に疎まれるにも、世界を憎むにも、まったく不足がなかった。この見た目ゆえに蔑まれたために屈折してしまったのか、その醜い心の内が外見に表層化したのか、いまとなってはもはやわからなかった。とにかくこの心の揺れはしばらく収まりそうにないことだけが確かだった。

 みにくいアヒルの子という物語では、この鳥と同様に周囲と違う姿で生まれた鳥の雛が他の鳥から醜いといじめられて巣を追い出される。そして各地を転々とするもやはり迫害されてしまう。だが冬の厳しい寒さを乗り越えて暖かな春を迎えると、雛は美しい白鳥へと成長して幸せに暮らすこととなる。

 しかし残念ながら人間の世界の童話をこの鳥が知っているはずもないし、またこの鳥が立派な白鳥になるというのも同じくらいありえないことだった。だからその結末はきっと違うものになるだろうが、奇しくも物語と同じように、彼は各地を転々とすることに決めた。他の鳥たちからの冷たい視線、なにかに囚われているような息苦しさには耐えられなかった。この世界にはもっと自分にふさわしい場所があるはずだと感じていた。誰にも縛られることなく自由に生きていける理想的な世界が。

 そして生まれてはじめて森を抜け出すことにした。幼い頃から、外の世界では凶暴な猛禽類に狙われやすくなると言い聞かせられてきた。でもいま真に恐ろしいのはそんなことではなかった。このままこの狭い社会の中で地面に積もる落ち葉のように腐り果てていくことだ。肉体的な死はすなわち精神的な死でもあるが、逆もまた然りではないだろうか。

 他の鳥たちはみんな毎日同じことを繰り返して生きている。獲物を見つけては捕食して、幼き雛たちに餌をやり、高らかな声で歌い、やがて眠りに落ちる。循環の中にあっては気がつかないことかもしれないが、ひとたび外に立てば最後、それは実に気持ちの悪い光景に思えてならなかった。そんな生活のどこにいったい自分の意思があるというのだろうか。この歪んだ世界との調和などはじめから取れようはずもないのかもしれない。自分はこの狂った輪廻から外れてしまった存在なのだから。

 生い茂る木々の間を飛び続け、やがて日の光が遮られることのないところまできた。いま彼の前には生涯で初めて体験する新しい世界が広がっていた。眼下には人工的な建造物が集まっている。われわれ人間の住処である街だった。

 人間たちは自由に生きている。きっと鳥のような苦労など抱えることもなく、本能に従って暮らしている。噂に聞く話では、人間は食料を確保できなくて飢えることも、睡眠中に外敵に襲われる心配もほとんどないらしい。あれこそ生き物としての最高の形だ。見渡す限り何もないこの広大で空虚な空で彼はそんな風に考えていた。

 しばらく飛び続けているとある鳥の一団に遭遇した。彼らは『鳥』と同じように社会に馴染めないと感じたはぐれ者の集まりだった。リーダーである鳥が言う。

「我々が理想とするのは各人の生き方を尊重する自由で制限のない社会だ」

 その鳥たちはみな青い羽を持っていた。空の色をそのまま取り込んだような綺麗な青だった。しかしその珍しさゆえに各地で迫害を受けて居場所を失ったのだという。さまざまな相手に羽の色について質問されたりすることがとても苦痛であったらしい。あるひとりの鳥が口を開く。

「ここにきてはじめて本当の仲間を得ることができました。そして同時に自分を肯定することもできたのです」

 その鳥の言葉に一団が一斉に頷く。みんなで考えを共有しているようだった。『鳥』は自分も仲間に入れるのか確認してみた。

「きみは青い羽じゃないからダメだよ」

 リーダーである鳥はさも当然のことであるかのようにそう言うと、一団を連れて飛び去ってしまった。『鳥』はあまりの衝撃に羽ばたくことも忘れていた。揚力を失った身体は物理法則に従って、地面へと落下していく。

 彼らが受けてきたという差別と、彼らが僕に与えたものと、いったい何が違うのだろう。愛の言葉は、愛なき者を否定する言葉なのだろうか。そもそも僕の森にも青い羽の鳥はいた。たしかに珍しい色ではあるために、周囲の関心を引いてはいたが、彼はいたって普通に生活していた。彼らの生き辛さの原因はもっと他のところにあるのではないだろうか。そして集団となり同様の経験を共有することで、被害者意識ばかりが肥大化していったのではないか。少なくとも、彼の目にはそう映っていた。

 どんどんと落下速度は加速していきやがて地表に達するところまできた。そこはいつか森で見たような綺麗な湖の上だった。「僕はこの世界に向いていない」ぼんやりとした頭でそう考えた。水面に映る『鳥』の姿。その羽は奇異なムショクだった。