うんざりブログ

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スーパーで同じ商品を何度も触る御婦人に人生を学ぶ

 

 僕は週に二十回ちんちんを触っていたことがあります。自宅浪人していたころの話です。

 

 

 たまにスーパーで買い物をしていると、それもかつて奨学金という名のお小遣いが慈善団体から僕の口座へと振り込まれて余裕のあった頃の話ですが、タイトルの場面に遭遇することがありました。

 スーパーマーケットでの買い物に関することだけで世間様に聞いていただきたいことはたくさんあり、本当は自分のテリトリーを確保するために大きな買い物カートをまるで自らの身体の一部として大胆に使用するおばあさんの話もしたいのですがそれはまたの機会にすることにします。

 

 本題をば。

 僕のように半額になったお惣菜をスカベンジャーするだけの買い物初級者には理解の及ばない世界ですが、毎日のように買い物をする世間のお母さま方の商品に対する執着は凄まじいものがあります。家族のためにおいしい食事を作っていらっしゃるのですから当然のことでしょう。

 そのような御婦人方は商品を手に取ると、その全てを確かめるようにぐるりと見回して、何が気に食わなかったのでしょうか棚へと戻します。そして再び同一商品の別個体を手に取り同じ作業を繰り返します。これを少なくとも五回程度は行うように思われます。

 いったい何を気にしているのでしょうか。栄養成分表示のある商品であればわかります。僕もカロリーと塩分などは確認することがあります。もしくは賞味期限を確認しているのでしょうか。僕などは目視でチェックを行い、たとえば牛乳ならばせいぜい一日の差があるくらいのものなので適当に手前のものからカゴへと放りこんでしまいます。しかし御婦人方は賞味期限が基準より二日長いものを探しているのでしょうか、決して探求の手を止めません。たとえその努力が報われなくても、大切なのは結果より過程だと、その姿勢こそがプロフェッショナルなのだと教えてくれます。

 商品がパックされた食品だろうと関係ありません。一流の寿司職人は自ら調理に使う食材を購入します。自らの五感で選定した最高の食材こそお客様の笑顔に繋がるのだということでしょう。それと同様に御婦人方も選定しているのです。自らの眼で確かめてさらには指でラップ部分を押すことで商品の良し悪しを見極めているのです。もちろんそのお眼鏡に適うことがなければ散々触りまくったとしても購入などしません。後に商品を買う人間のことなど考えてはいないのです。僕のような無職野郎が嫌な思いをしようが関係ありません。すべては愛する家族のために。妥協のない仕事によって家庭の食卓は支えられているのです。

 

 僕はハッとさせられました。いままでの自分の人生でこれほどまでに真剣な選択をしたことがあったでしょうか。受験や就職の場面においても常に行き当たりばったりに生きてきたのではなかったか。後悔しないようにとことんまで考え抜いたことがあったでしょうか。その結果が二浪、そして院卒無職です。

 スーパーの商品を何度も触り確かめて最高のものを購入しようとする御婦人方の姿勢は今を真剣に生きることを僕に教えてくれます。どんなにくだらないことでも、自分の選択が間違っていなかったと胸を張ることができるように、自分の過去に誇りを持てるように、そんな風に人生を歩んでいきなさい、と言葉にはせずとも行動で示してくれているように思えてならないのです。

 そう考えればあれほど賞味期限にこだわるのも得心がいくように思われます。人生は年齢を重ねるにつれて体感的な時間が速くなると言われています。僕からしたらたった一日の差でも、御婦人方にとってはとても長い時間の隔たりとして現れるかもしれないのです。つまり『気がついたらもう賞味期限を3か月も過ぎていたわ』などというように。

 これは僕に人生が有限であるということ。時間を大切に使わなくてはならないということを示しているのだと考えました。僕はいままで数多くの遠回りをしてきました。そのたびに後の糧となるなどと自分を騙してきましたがもう言い訳するのはやめにします。きちんと自分の人生と向き合って有意義な時間をすごしていきたいと思います。出遅れてはしまいましたがこれから生きていくなかで少しずつ取り戻していきたいです。そのためにも明日ではなく今日から行動していくつもりです。僕にはもう一秒も無駄にする時間はないのですから。特にスーパーで大差ない商品を吟味しているような無駄な時間は。