うんざりブログ

それぞれ-1/-1の修正を受ける。

歩きスマホと現代物理学

 

 

 物理学の修士だけど微積分など1mmも理解していない。

 

 

 日本国憲法には国民の三大義務なるものが定められており、つまりそれは僕がこの腐敗した世界に産み落とされたにも関わらず、存在しているだけで社会に対する責任を果たさなければならないということになります。

 しかし義務があれば権利もあるはずで、僕が平日の昼間から無職丸出しの格好だろうが大手を振って公道を歩く権利があるはずで、他の歩行者は歩道を占有して僕の邪魔をしないようにする義務があるはずです。

 僕は平均よりも歩くのが速いので前を歩いている人も抜くことが多く、他人の歩行に対して思う機会もたくさんあります。ちなみに僕は通常の形態で可能な最大の速度で歩いているので、僕を追い抜いていくのは友達とふざけ合っている小学生か、そうでなければ気持ちの悪いオタク僕は全くそんな風には思いませんが、一般的には生理的嫌悪感を与えるであろう不愉快な雰囲気を纏ったある種のサブカルチャー好きの青年男性であることがほとんどです。彼らは背負っているリュックが揺れないように片方のハーネス部分を片手で押さえ、それと同じ方向に首を傾けながら、膝の屈伸をほとんど利用することなく高速の擦り足で移動します。気持ち悪いですね。

 

 歩きスマホの問題が指摘されて久しいですが、人々のモラルは一向に形成されず人波に飲まれれば星の数ほどのモニターが煌々と輝きを放っています。それはさしずめ天の川のようです。まるでゴミのような人波も遠く離れた宇宙から見れば一年に一度だけ男女が想いを果たす遭逢の地に見えているのかもしれません。

 ある日、僕は早朝の道を歩いていました。僕の進行方向の反対に向かって多くの人々が歩いていきます。二列がやっとの狭い歩道なので一方の歩行者が同じ側によるのが適切だとは思うのですが人間とはかくも不思議なもので時々なぜか反対の側に飛び出た迷い子のような歩行者がいます。当然そのような哀れな子羊は自分から避けるという行為を知らないため僕が気づきを促すように実践して教えてあげます。もし右の側に避けたら左の側にも避けなさいとの教えの通り、反対側に避ければそこにはまた人々の群れが待っていますから僕はすなわち自分の側に戻ります。そんな風にして人波を乗りこなす人間サーファーである僕ですがたまに不可避な場面に遭遇することがあります。

 それは真ん中付近を歩行する者です。彼は両耳にイヤホンをして一心にスマートフォンを眺めていました。視覚と聴覚を奪われているにも関わらず彼はその歩みを決して止めようとはしません。場面が場面なら非常に感動的にも思えましょうが今回は危険なだけでした。はたして彼はどこで気がつくのでしょうか。彼の進む方向に細心の注意を払いながら僕もまた彼に向かって歩を進めます。その姿はまるで織姫と彦星ではなかろうか。いざ邂逅を果たそうかというまさにその瞬間、彼はふと顔をあげました。おそらくスマートフォンを見るためにやや俯き加減の視線が僕の靴先を捉えたためでしょう。彼はハッとすると続けて怪訝そうな表情を浮かべて僕の視界から消えました。

 その瞬間の僕にはその一連の流れが理解できませんでした。自分が前を見ていなかったことが原因なのは明白で、申し訳なさそうな顔や、バツの悪そうな表情を浮かべるのであればわかりますが、まるで僕が悪いかのような振る舞いに驚きました。どうしてこいつは自分の進路を妨害するようなルートで歩いているんだ、どうしてこいつはこんなところに存在しているのだ、とでも言いたげでした。

 その出来事についてしばらく考えていた僕ですが、熟考の末に驚くべき真実にたどり着いたのです。それは彼がスマートフォンから顔を上げたまさにその瞬間に僕の存在が規定されたのではないかということです。彼に認識されるその直前まで僕は存在している、存在していないの重ね合わせの状態、まさにシュレディンガーの猫そのものであったということです。そうであれば彼の行動すべても納得がいきます。彼が僕を認識する直前まで僕のような障害物は存在していなかったのですから。彼としては前方を気をつける必要もなかったはずです。

 

 僕は大学での物理修得に失敗しました。量子力学という学問があまりに日常の感覚から離れており上手く捉えることができなかったためです。しかし今回の経験を通して理解が深まったような気がします。学徒として失敗に終わった僕の大学生活を救ってくれた、そして僕を猫から人間へと昇華させてくれたあの男性には感謝せずにはいられません。

 いまもあの男性は視覚と聴覚を奪われた状態ではてなき道を彷徨っているに違いありません。彼の見つめるスマートフォンのモニターにいつの日かこの記事が表示されることを願って止みません。ありがとう。