バズりたいカスによるカスのようなテンプレ化されたカスタイトル。内容とはあまり関係のない目に留まりやすいだけのタイトルです。
人間はなぜ生きるのか。その答えについては何度も考えそして結論にたどり着けていません。このブログでも何度か文章にしていますがかつて天才的な頭脳を持つ学問を究めし哲学者などが人生をかけて追い求めた答えをただのフリーターが暇つぶしで手にするというのはなろう小説もビックリのあまりにバカげた夢物語です。
かつて心理学者のアブラハム・マズローは人間の欲求にはいくつかの階層構造によって成り立っているという説を述べました。低次の欲求が満たされるとより高次の欲求が生じるというものであり、自己実現が最も高次の欲求であるとされています。
まずは自らの生命維持に必要な生理的欲求や安全の欲求が必要であり、それらが満たされると社会的欲求や尊厳的欲求を必要とするわけです。最終的には他人に認められるという外的欲求よりも、自己実現つまり自分の望んだ自分になるといった欲求を満たすのが目的になります。
だから僕はブログを書くのかなと思います。もちろん可能であれば音楽や絵のような芸術活動を行ってみたいです。しかし僕にはそのような技術がないので義務教育を通過しているものであれば誰でも可能な文章を書くという創作活動をしています。日本における最高学府を経ながらも非正規の社会人であることを気にしていない僕は社会的承認の欲求というものは薄いのかもしれませんが、このブログが人気になることで他者から才覚を認められたら素直に嬉しいと思いますし、それよりも自分自身納得のいく作品ができたら最高だなと思います。
芸術とは人間だけが行う活動の一つであると言われます。つまり社会においていかに失格の烙印を押されたダメ人間でも、このブログにおいて創作活動を行う僕は誰よりも人間的に生きているのです。物質的な充足の次元を超越した精神的な活動を行う我々を果たして誰が否定できるのでしょうか。
多くの生物は遺伝子を残すことを一つの目的にしているように感じます。それは我々人間も例外ではないのかなと思います。遺伝子を残すことそのものと直接的な関係とは言いませんが、幸せな家庭を持つことは人生における究極の目的の一つではないでしょうか。
しかし僕には自らの遺伝子を持つ子孫が欲しいとは思いません。今までの自分の人生を振り返りまたこれからの人生を考えるとおそらく僕が家庭を持つことはないのではないかと思います。しかしきっとそれは特別なことではないでしょう。それは僕がまだ若く自分の人生に必死だからです。ずっと一人の人生を満喫してきた人間が人生の折り返しを過ぎて家庭というものを欲するという話を聞いたことがあります。僕にはまだ想像できない感情ですが将来的に同様の思いを抱かないとは限りません。やはり動物である我々に本能的に刻み込まれた性質なのかもしれません。たしかにいつか訪れる死とともに自分という存在が世界から跡形もなく消滅してしまうというのは寂しく思います。
しかし僕ひいてはダメ人間に結婚などできるでしょうか。社会的に晩婚化が進み、未婚率も増加し、今年の出生人数は統計以来初の90万人を下回ったとのことです。そんな世の中で幸せな家庭を築き、自らの遺伝子を残すというのは簡単なことではないように思います。
しかしそれもブログが解決してくれるのです。創作活動が解決してくれるのです。はっきり言いましょう。この記事は僕の全てです。薄い僕の人生のことです。全てを寄せ集めて絞り出したものがここにあります。つまりここまでこの記事を読んだあなたは僕の遺伝子を取り込んだも同然なのです。僕はいま人間として初めての無性生殖に成功しました。
かつてある一人のヤブ医者が言いました。『人はいつ死ぬと思う・・・? ・・・人に忘れられた時さ・・・!!!』
もしも僕の肉体が滅びても僕自身は皆様の肉体の中で生き続けるのです。僕の遺伝子を皆様の遺伝子と合わせて体内に宿す。これはまさに妊娠にほかなりません。
なんということでしょうか。ブログを書いているだけでダメ人間の僕が、人間として、動物としての、最大の目的をそれぞれ果たしたことになります。
この記事を完全に忘れてしまった時、あなたの中で僕は死ぬことになります。しかしこの文章を読んでしまうと却って忘れられないことでしょう。これは呪いです。そういえば今日は12/25でした。僕はサンタクロース。皆さんに遺伝子をプレゼントしますよ。メリークリスマス。