うんざりブログ

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手帳

 

 その島にはバラバラになった古い機体そして一つの死体があった。

 かつて彼らが乗っていた飛行機が付近の海上にて突如としてその消息を絶った。異常を知らせる前振りなど全くないままある瞬間にレーダー上からその姿を消したのだ。

 近隣の国からの協力も得て大規模な捜索が行われたがとうとう一片の情報も得ることができなかった。事件は未解決のまま捜査打ち切りとなっていた。

 今回の発見は全くの偶然だった。国際組織の調査団員である我々が未開の地域の探索のためにこの島を訪れたためであった。

 しばらく周辺を捜索するといくつかのバラバラの人骨が重なるようにして砂に埋まっていた。このことが示すのは少なくとも墜落してからしばらく生存していた者がいたということだ。誰かが亡くなった仲間の埋葬をしたのだ。

 彼らを特定できる衣服などは見当たらなかった。長い年月をかけて風化してしまったのかもしれない。事件は随分と前に起きていた。

 おそらく彼らを埋葬したのは機体の近くにあったこの死体だろう。救助を求め神に祈りを捧げるようにして地面に倒れ空を仰いでいた。彼は困難な状況にありながら仲間を思う気持ちを失わなかった。スーツに包まれている剥き出しの空洞にはかつては熱い血が流れ力強く鼓動する心臓が鎮座していたに違いない。

 近くには金属製のケースが落ちていた。ケースを開いてみると中には仕事道具と思われるパソコンやペンケース、そして手帳があった。手帳をパラパラとめくると几帳面に近日の予定が記入されており、そして余白のページには隙間なくこの島に訪れてからのことが記されていた。

『いまは不思議と穏やかな気分だ。これだけの大惨事の中でこうして私だけが生き残ることができたのは神の加護があったからに違いない。これが私に与えられた運命であるならばそれに従うほかはない。きっと私は生きるべきなのだ。だから私はこうして生きている。食料はまだ十分にある』

 文章はすべて日本語で書かれていた。初めて見る縦に書かれた文字列だった。日本は極東にある小さな島国だ。幸運なことに私は大学で日本語を学んでいたために完全ではないものの文章を読むことができた。それにしてもこの名もなき彼の言葉は意外だった。彼の最後の日々が穏やかなものであったならば多少救われた気がした。

『ケダモノたちに食事を横取りされそうになったため仕方なく殺した。かわいそうだが私も生きていくためには必死だ。もちろん死体は後で食べることにする。なんとしても生きていかなければならない。おかしな話になるがこの島に来て私は却って人間らしく生きているような気がする。人間も動物であるということをいまさら実感する。他者の生命の犠牲の上に我々の生活は成り立っているのだ。それを改めて教えられた』

 この島は小さく周囲に動物の気配は感じられないが当時は食料となる動物がいたようだ。もしかしたら果実や種子を食べることのできる植物なども自生していたのかもしれない。不謹慎な話だが希望の見え始めた彼の生活に興味がわいてきた。

『はじめから簡単な話だったのだ。どうして私はいつまでも社会的通念などに縛られていたのだろう。いま目の前に私が長年向き合ってきたコンピュータはない。ネチネチと私を叱る嫌味な上司も、冷めた食事しか出さない醜く太った妻もいないのだ。久しぶりの食事を摂ったら元気がでてきた。実に美味かった。この島では私が支配者だ。自分の人生の王様は自分しかいない』

 いったいこの人物がはどんな境地に向かったのだろうか。彼の精神に大きな変化が生じているように感じられた。

『今日も収穫はなかった。救助が来る気配も一向に感じられない。みんなもはや限界に近い。何とか元気づけようとしても返ってくる言葉は数少なくとても弱々しい。このままではみんな飢え死にしてしまうだろう。辛い。苦しい。寒い。腹が減った。死にたくない。助けて帰りたい、どうしてこんなことに寒い腹が減ったダメだ』

 急激な雰囲気の変化に違和感を覚えた。そういえばこのメモには日付が記されていない。彼には確かめる術がなかったのかもしれない。未来の見えない状況において一日を正確に記録することはとても残酷なことだったのだろう。もしかしたら日記自体も不定期に記録されていたのだろうか。最後のページを開く。

『やはりこの島にはなにもないようだ。しばらく探し回ったものの何も見つけることはできなかった。もはやみんな疲れ果ててしまった。不時着して今日で五日目くらいだろうか。墜落時の衝撃でケガをしていた者が今日とうとう死んでしまった。出血を止める手段がなかったのだ。我々はこの何もない島でおよそ期待できない救助を待ち続けることになる。気休めにこれからこの手帳に記録をしていくつもりだ』