うんざりブログ

それぞれ-1/-1の修正を受ける。

年上好きの女 年下好きの男

 

 わけわからんコメンテーターの主な著書みたいなタイトル。

 

 年の差婚などと言うけれど、この場合の年齢差というのは絶対的な差で考えるよりも相対的な差で考えるべきではないだろうか。40歳と50歳の中年カップルであればおかしなことはないけれど、27歳と17歳ならばこれはとんだ大問題だ。もちろんそれも月日を経て80歳にでもなればすべて解決するのだけれど。その頃には年齢による違いなどほとんどないようなものだし、そもそも男女の違いすら分からなくなってくる。

 人間の社会的立場の違いや、精神的な成長は、時間の進行に対して全く同じような傾斜で変化するわけではない。20代までは大きく変化するだろうし、その後はややゆっくりと、老年期になればかなり穏やかになるかもしれない。やはり若いほど年齢の影響は大きいのではないか。

 また学生は学年というもので個々の所属が明確に示されている。生まれた年度によってはっきりと区分されているわけだから、年齢による立場の違いは強く意識される。だから若者にとっての年齢の違いというのはとても大きい。年齢の差がそのままステータスに反映されることも少なくない。

 なぜ女性は年上の男に惹かれるのだろうか。彼女らは年上男性の、大人の余裕があって、深い包容力を持ち、強く頼れる部分に魅力を感じているらしい。そして決まってこう言うのだ。

「同い年の男たちはみんな子供っぽい」

 僕はずっとこの言葉に納得できないでいた。ただもしかしたらこれは嫉妬なのかもしれない。高校の同級生のあの娘が大学生の男と付き合っていたこと、大学の同級生のあの娘が入学早々に先輩と付き合っていたこと、そのような出来事の積み重ねが僕の価値観を歪ませたのだろうか。

 現在の僕はより若い女性にとっての年上男性の立場だ。しかしここで主張するように年下の女性を簡単に虜にするような実情はない。それは認めなくてはならない。だからもしも僕が間違っているのならば、貝のように閉じてしまった心を開いて、深い海の底から救い上げて目を覚まさせてほしい。

 

 先述の通り、若者にとって年齢というのはそれだけで一種のステータスとなり得る。女性にとって年上の男性というのはそれだけでたくましく、スマートで、頼りがいのあるように思えるのだ。しかしほとんどの場合それは先入観や雰囲気などによって造り上げられた幻想にしか過ぎない。

 社会的立場や、精神的な成長が年齢に大きく影響されることについては既に述べた通りなので、実際に影響が全くないとは言わない。しかしそれはやがて誰もが獲得するものだ。同級生のヤンキーにビクビクしながら学生生活を送っている平凡な高校生であっても、小学生に混ざれば比類なきほどの強靭な体躯と運動能力を有した存在として君臨することになる。だからなんだと言うのだ。処子に言い寄る年上の男は本質的にそれと大差ない。

 新入生にいちはやく唾をつけようと新年度になると画策をはじめる輩。彼らにとってはこの情報的不均衡の構造こそが生命線なのだ。何も知らない相手だからこそ成立する取引であって、無知な老人相手に不必要なオプションを付加して契約する携帯電話キャリアのように姑息で、ほとんど詐欺同然のやり口だ。

 しかしかくも愚かなうら若き乙女は簡単に騙されてしまう。いずれ誰もが通る道に見つけた一つの足跡を特別なものと誤解してしまうのだ。未開の地を切り開く先駆者のものであるかのように。実際には他にも無数の足跡が存在しているというのに。

 それくらいの単純な事実を見抜くこともできず、恋愛中心にしか物事を捉えることのできない色ボケに、人生とは何やらと説かれるのだからたまったものではない。もしも男女の立場が逆ならば、女性に少し優しくされただけで骨抜きになってしまう情けない男だとなるだろう。もしくは極度に女性慣れしていない恥ずかしい奴だと言われるかもしれない。女性を食い物にすることしか考えていない下劣な輩に騙される若い女のいったい何が違うというのか。

 年上男性が魅力などと言う女は自分で成長する気がないのだと思う。パートナーとともに困難を乗り越えようなどという覚悟も一切ないのである。だから未成熟の存在を否定して、完成されたように見えるものに簡単に喰いつくのだろう。社会人の彼は経済的にも安定していて、精神的にも大人の余裕がある、か。そうか。

 そもそもの話をさせてもらえれば、彼らは本当に大人だろうか。いつまでも遊びまわって、いい加減に落ち着くこともせずに、いつまでも近所の公園の砂場で年下相手に無双している。同世代から見たら異常者に見えるその行為も、小学生からしたら憧れのヒーローに思えるのかもしれない。

 もはや大前提が崩れてしまった。誰もがいずれ手にするはずの「大人」という要素だけでチートしていた彼らだったが、実はそれすら正しくなかったのだ。性欲に忠実で理性を持たない彼らはほとんど猿のようなものだ。さすがに猿ではかわいそうなので猿人くらいにしておこうか。おわり。

 

 

 

 いや待てよ。猿人ということは僕らホモ・サピエンスの先祖に当たるということではないか。つまり彼らは僕よりもはるかに大人な存在だということになる。そして猿人が生存していたのは現代よりおよそ100万年も前と言われている。それはもう気が遠くなるほど昔の話だ。僕らの前世、いや前前前世くらいの話かもしれない。

 もしも彼がその頃から一人の女性を探しはじめて、現世において結ばれたのだとしたらこれは純愛という言葉で表すほかないではないか。間違っていたのは僕の方だった。醜い嫉妬で目を曇らせていた。

 やっと目が覚めました。