うんざりブログ

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アルバイトばかりの大学生に見る日本の現状

 

・はじめに

 結論から述べれば、貴重な大学生活においてアルバイトに熱をあげるのは実に非効率的であると言わざるを得ません。目先の利益のために将来的な資産を捨ててしまうようなものであり、金の生る木を伐採して薪として暖炉にくべているようなものです。

 しかし大学生が何を思うかアルバイトに力を入れてしまうのは本人の責任ばかりではありません。そのような境遇を作り上げてしまった、日本の社会構造にこそ本当の問題があるのです。現代社会においては『大学』の存在意義が根底から揺らいでしまっている気がしてなりません。大学というものの在り方と、大学生としての在り方、それぞれを考えていきたいと思います。

 

・つぎに

 そもそも『大学』とはどういったものでしょうか。一般的な考え方としては『我が国においては、小学校、中学校、高等学校の通常12年間の教育を終えた者(大検などもありますので、正確に述べるのであれば、それと同等の学力等を有する者)を対象に専門的な高等教育を行うもの』といった感じでしょうか。しかし本来の意味や考え方、また正確な定義などは知らない方も多いのではないでしょうか。Wikipediaを参考にすると次のように書いてあります。

大学 - Wikipedia

大学(だいがく、collegeuniversity)は、学術研究および教育における高等教育機関である。

日本の現在の学校教育制度では、高等学校もしくは中等教育学校卒業者、通常の課程による12年の特別教育を修了した者、またはこれと同等以上の学力を有する者を対象に専門的な高等教育を行うものとされている。学生の教育課程と修了要件の充足に応じて学位短期大学士学士修士専門職学位博士)の学位授与を行う(なお、学位の名称・定義も国や地域によって異なる)。

 

  つまり通常の課程による12年の特別教育を修了した者、またはこれと同等以上の学力を有する者を対象に専門的な高等教育を行うものといった感じでしょうか。

 つまり大学では専門的な高等教育が行われているわけです。1970年度には20%に満たなかった大学進学率ですが2018年度には60%にまで届こうとしています。この数字は指数関数的に増加しており、一説では2060年度に100%を超えるともいわれています。

 大学進学率の増加は日本の教育が先進的であることを示すものでしょうか。日本人が豊かな教養と成熟した人格を育んでいることを表しているのでしょうか。残念ながら、私にはとてもそうは思えません。戦前の日本に存在する大学はわずか45校でした。しかし現在その数は760校以上となっています。当時の大学進学率は1%にも満たなかったようですが、現在は全入時代、選ばなければどこかの大学には入学できるとも言われています。

 一握りのエリートしか大学進学の望めなかった時代が最高であるとは言いません。学問を望む者に対してその門戸は常に開かれてあるべきだと考えているからです。しかし現代の日本で、大学に進学する人は誰もが学問を志しているでしょうか。決してそうではありません。いわゆるFランと呼ばれるボーダーフリーの大学では高等教育などままならず義務教育レベルの授業を行っているところもあるそうです。

 それではなぜそのような”勉強嫌い”までもが大学進学を目指すのでしょうか。これもやはり本人の責任だけではありません。大学卒業を前提とする日本社会に問題があるのです。たとえば就職活動などをすれば、大卒者とそれ以外では違う区分での受験を余儀なくされます。入社後も学位によって給料が決まる会社がほとんどではないでしょうか。これこそ歪んだ『大学』を産み出してしまった最大の原因です。歪みマザーであると言えます。

 専門的な技術の求められる職種であればいざ知らず、学問的知識の活かされることの少ない業種で大卒を優遇する必要がどこにあるのでしょうか。誰に尋ねてもきっと納得できる回答は返ってこないでしょう。たとえ林修池上彰でも。誰もが右に倣えの思考停止で、この歪んだ構造を形成してしまったのでしょう。

 もしも専門的知識が求められることがなくても、大学卒業というものに”重み”があるのであれば話は違ってくるでしょう。大学を卒業したということが優秀な証であるのであれば思考停止的に大卒者を採用するのも理解できます。しかし皆さんご存知の通り日本の大学を卒業するのは決して難しくありません。もしも大学卒業が難しければ、大学進学率は今よりも低下することでしょう。多くの人は高卒その他での就職を目指すはずです。その方が良い気がしてなりません。

 

・さらに

 いよいよ本題に移ろうと思います。大学生の多くがアルバイトに力を入れてしまっている嘆かわしい現状についての話です。まず根本的な話として、どうして大学生はアルバイトをするのでしょうか。お金が必要だからというのは真理ですが、実はそれは正しくありません。結論を言えば、大学生は暇だからなのです。正確に言えば、自分が暇であると勘違いしているためです。

 前述の通り、現代の日本において大学卒業は難しいことではありません。高校生の時よりも授業数も減り、出席と適当なレポートだけで取れてしまう単位。出席の求められない授業すらある始末です。試験のあるような授業でも勉強を頑張る者よりも過去問を手に入れた者が得点できるなど学問の本質とは関係のないところで評価が決まってしまうような有様。単位を得たところで新しい知識などほとんど獲得していません。もちろん単位修得の楽な授業に学ぶことがないというわけではありません。しかしそもそも学問を志して大学進学している人などほとんどいない状況なのです。主体的に何かを学ぼうなどという姿勢があるはずもありません。

 だから大学生はアルバイトをするのです。本分であるはずの勉強が片手間に行えてしまうのですから、浮気するのも仕方ありません。むしろ効率の良い生き方をしている優秀な学生であるとすら言えるかもしれません。しかしそれはあくまで表面上の話であって、目先の利益を追って、将来的な成功を喰い潰していることに気がついていないだけなのです。

 国立大学の授業料は年間およそ54万円です。卒業に必要な単位を120とすると半期で15単位の修得が必要となります。8コマほどの授業を履修すると考えると27万円/8コマ = 3.5万円/コマとなります。一つのコマで3.5万円の価値があるのです。これを時給1000円のアルバイトで稼ごうと思ったら35時間もの時間が必要となります。逆に言えば、もっと多くの授業を履修すればそれだけ多くのお金を稼いだのと同じ価値があるのです。

 そしてこれはその瞬間の価値を比較しているに過ぎません。将来的な価値を考えるとさらなる差が広がっていくことは言うまでもないでしょう。たとえば時給1000円のアルバイトを週に10時間行うと月に4万円ほど稼ぐことができます。これを大学生活のあいだ継続すると四年間で200万円ほど稼ぐことができます。費やした時間は2000時間程です。この2000時間という数字ですが、英語習得に必要な時間がおおよそこれくらいと言われています。もしもアルバイトに費やしていた時間を英語の勉強に使い、TOEICなどで好成績を収めれば就職活動において成功する可能性は格段に高まるでしょう。200万円という収入を取り返すことも難しいことではないでしょう。以後の人生において、アルバイト経験と英語の習得、どちらが有用であるかは考えるまでもありません。

 

・ついに

 大学生活におけるアルバイトがいかに非効率的であるかを見ていただいたと思います。上記では英語学習について述べましたが、専門的な知識の習得に努めれば、望むような将来を手にするのも決して無理ではないでしょう。誰もがその可能性を持っているはずなのに、安易にアルバイトに手を出してしまうことで、その未来を失ってしまうのです。

 日々の活動に金銭が必要なのであれば、各種の奨学金を利用することもできます。普通程度の成績であれば問題なく審査は通りますし、優秀であれば返済不要なものも少なくありません。無利子の奨学金も充実していますからとりあえず借りるというのも一つの手段であると思います。

 ただしこの奨学金に関して、我が国の体制は不十分であると批判せざるを得ません。それには前述のように大学が多すぎることなどが関係しています。また国立大学の学費の上昇が著しく、優秀であるにも関わらず大学進学を諦めている人がいるのが現実です。このような状況を改善しようとしない国の責任は大変重いと思います。

 初めに述べた通り、このような環境の中で大学生はアルバイトをしなければならないという強迫的な観念を持ってしまうのでしょう。そしていつからか学生の本分は学問ではなくなってしまったように感じます。学問を愛する一人の学生として心より残念に思います。

 

・おわりに

 自慢ではありませんが私は大学生活において定常的なアルバイトは行いませんでした。学生の本分は学問であると知っていたからです。

 その結果、奨学金の総返済額は1000万円弱だし、TOEICは600点前後だし、GPA2点台前半だし、来年から無職です。誰か助けてください。

 

 助けてください。