うんざりブログ

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世界最強フリーターの俺氏ついに仕事を辞める~急に辞められるとシフトの穴埋めが大変だからとりあえず今月末までは働いてと言われてももう遅い~

 

この物語はフィクションです。実際の人物や団体などとは決して関係ありません。

 

あらすじ

 とうとう労働が面倒になったので仕事を辞めることにした。すると今まで僕をただの店員の一人にしか考えていなかった店長が慌てて「シフトのこともあるし今月末までは働いてくれないか」と言ってきたが何をいまさら、もう遅い。隠れた才能が覚醒して無双!?現実世界スローライフ開幕!

 

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「今日で辞めます」

 ついに僕は言ってやった。客のいない昼下がりのコンビニのバックヤード。新聞に目を落としていた店長が驚いた顔をする。パートのおばちゃんがホットスナック用のトングを落とす。ガシャリという甲高い金属音――もしかしたら人生というものが壊れていくとき似たような響きが聞こえるのかもしれない。

「なんだって?」

 店長は狼狽を隠すこともできないままマヌケな質問をする。シワの刻まれた額には脂っこい汗がジワリと滲んでいて、室内灯の明かりを反射しててらてらと光っている。

「ですから今日でアルバイトを辞めさせていただきます」

 僕はもういちど、さっきよりも少し丁寧に、言葉を返す。ヒロインたちの好意に気がつくことのない難聴系主人公でもあるまいに、聞き返せばお茶を濁せるとでも思ったのだろうか。

 この店の支配者たる痩身の中年男性は幽霊でも見てしまったというように呆然としている。まるで僕の口がそんな文字列を紡ぐことができるとは思わなかったというような表情だ。つまりそれほどまでに僕は軽んじられていたということになる。

「ど、どうしてそんなに急に」

「急じゃありません。以前から考えていました」

 あくまで穏やかに言葉を返す……つもりだったのだが、積み重ねた思いの重みが自然と言葉に加算されてしまう。まるで強烈なボディーブロー、言葉のウェイトに差がありすぎる。店全体の空気はどんどんと重くなり、いまやどんよりと足元に溜まっている。店長は喘ぐように口をパクパクとさせることしかできない。もはやチアノーゼ寸前。それでも僕はニコニコと笑みを崩さない。

 

 僕がこの店に勤めはじめたのは数年前のことだ。大学を卒業してから定職に就かずにフラフラとしていたのだけれど、生きていくためにはお金がいる。当然の話ではあるがこの世界では魔物を倒したり薬草を売ったりして収入を得ることはできないので、普通にアルバイトをすることにした。

 そんな時にタイミングよく店員の募集をしていたのがこの某全国チェーンのコンビニエンスストアというわけだ。家から徒歩五分という近さもあって即応募に踏み切った。まさに疾風迅雷、天下無双の早業だった。

 コンビニ店員というのはバイト中のバイトというような装いではあるものの、仕事内容はなかなかどうして大変であり、これが非正規的労働の標準だとするならばこの世界の仕組みは著しく間違っているということになる。それでも同僚たちは意外にも優しく、特におばちゃんたちは何かと気にかけてくれた。休憩中にお菓子をくれることもあった。トリックオアトリート。

 やがて僕は仕事に慣れはじめていた。当初の新鮮な体験を失い、必死に駆け回ることもなく、全てが日常となり果て退屈と惰性に浸かっていた。時計の針は急激にその速度を緩めている。

 そしてあることに気がつく。みんながなんだかよそよそしいのだ。

 決して無視をされているとか、意地悪をされているというわけではない。でも僕と同僚たちの間には確かな隔絶があるように感じた。それは分厚い壁などではない。半透明の靄の膜のようなもので少し我慢をすれば簡単に通り抜けられるようなものだ。しかし僕の足は根が張ったように動かない。

 僕たちにあるのは上辺だけの会話。気まずさというものを発生させないための緊急的な措置。近頃はすっかり暖かくなったとか、あそこの店のケーキが美味しいとか、僕は少食そうに見えるなど。期待されるだけの熱量が圧倒的に足りていない。下品なほどの空気を揺らすような腹の底からの笑いがない。

 学生、主婦、もしくは早期退職者、彼らには道理があった。二十四時間眠ることのない、ほとんどすべての欲望を満たしてくれるような、新宿という街を小さく詰め込んだような、この店で働くべき適切な道理が。僕にはなかった。若く健康で、夢を追いかけていない、成年男性が、きちんと働かないことを説明するだけの理由が。

 すなわち僕は異物だった。いつ破裂するともわからない腫れ物なのだ。留年をイジらせる空気を纏っていない同学年になった先輩と同じだった。それならば積極的に関わるべき必然性が存在するはずもない。縮まることのない距離感は敬意によって生まれるものではない。

 素性の怪しさを忘れれば、毒にも薬にもならない存在で、仕事を頼めば断らない真面目、というのが僕に対する周囲の共通の認識だった。つまり単なるバイト先の同僚として捉えるならこれほど都合のいい人間もなかなかいなかった。恋愛ならば大敗北。どこまでも利用されたあげく、優しい人で終わってしまうのがオチだ。いや仕事の場合も間違いなく負けているのだけれど。

 いつしか面倒な業務の多くは僕に回ってくるようになった。シフトに穴が出れば、僕に連絡がきた。どうせ暇なのだから、誰も口にはしないものの態度がすべて物語っていた。

 そして話は冒頭に戻る。僕は仕事を辞めた。店長は「シフトのこともあるからせめて今月末までは」などと慰留を仕掛けてきたが無視した。その優しさがもっと早く向けられていたら結果は変わっていたかもしれない。「法律では遅くても退職の三十日前までに……」などと言い訳をしていたが、法律を持ち出せば説得できると思ったのだろうか。法律的に正しいからと言って正義だと勘違いして驕り高ぶる態度にいっそう嫌気が差しただけだった。

 僕がいなくなればきっと仕事は回らなくなるだろう。でもそれはすべて自業自得というものだ。僕に多くの業務を押しつけているが故に楽をすることができていたのに誰もそれを自覚している様子はなかった。いなくなってはじめて、僕の抱えていた仕事量を認識して慌てふためけばいい。代わりなど簡単には見つからないことに愕然とすればいい。

 

 仕事を辞めてから一ヶ月ほどが経った。先日、勤めていたコンビニにお客様として凱旋した。困っている様子が見たい、戻ってきてくれと頭を下げられたい、という仄暗い感情を抱いていたことは否定しない。

 店に入るとそこにいたのは僕の代わりに入ったであろう新しい店員だった。若い男だ。近所の大学に通う学生だろうか。明るい声で挨拶をしている。店は思ったよりも、普通の様子だった。特に問題など起きてはいないようだ。

「本当に物覚えが早くて助かるわー」

 バックヤードの方から聞こえた声は、聞き覚えがあった。丸みを帯びたソバカス顔は、かつて一緒に働いていた女性の一人だった。新人バイトに向けられるその視線は、親しみのある暖かさに満ちている。

 やがて彼女は僕に気がついて言った。

「いらっしゃいませ」

 それはかつての同僚に向けられたものではなく、初対面のお客様に向けられたものだった。立ち止まった僕を見て不思議そうな表情をしている。

 逡巡。実際の時間にすればわずか数秒の間に無限の思考が行われ、そして当然のように何も考えてはいなかった。気が遠くなる感覚だけを全身に浴びて、結局何もすることはなく店を後にした。ここには僕の望むものは何一つなかった。

 アルバイトを短期間で辞めた三十路の落伍者に世間は厳しい。もうフリーターを名乗ることすら許されなくなった。無職。アルバイトすら採用されない無職。何かを取り戻すには、僕の人生はもうあまりに遅すぎた。

 異世界転生。いま目の前にはエンジンの唸りをあげて迫りくるトラックが見えている。