うんざりブログ

それぞれ-1/-1の修正を受ける。

愚痴を言われて勃起した

 

「新人の子どんな感じ?」

 アセスルファムカリウム。僕は彼女たちの言葉を人工甘味料のようなものだと思っている。それは不自然に甘く、嫌な後味を残す。媚びるような表情の下に潜む感情に、マスクに隠されている獲物を見つけた時の舌舐めずりに、気がつかないフリをして返事をする。これは僕なりの唯一の、そして無意味な、抵抗だった。

「うーんどうですかね」

 曇る顔に映るのは不満と不安。豪華な食事がテーブルを埋め尽くしていくのに自分の前にだけ食器が置かれていない、そんな表情だ。そこで銀のナイフとフォークを運んでやる。これも僕の仕事の一つだ。

「でもまあちょっとやりづらいですね」

「やっぱり?なんかあの子ボーっとしてるわよね。こっちの話も聞いてるのかわからないし。それから……」

 “保証”を得た彼女は堰を切ったように喋りだす。これが食事であれば喉を詰まらせているに違いない勢いだ。自らの発する言葉に埋もれて窒息したという話はまだ聞いたことがない。

 彼女の内部では自己保身の電子回路がすべての処理を済ませており、この話は相手から発せられた不満に応答したという形になっているのだろう。決して積極的に攻撃するつもりなどないが僕に同調しているために批判もやむなしというなんとも都合の良い構図が描き出されている。

 僕が持つわずかな社会性が、他人に独善的な正義を与えていた。

 新たに採用されたアルバイト学生の能力や態度など僕にとってはどうでもよかった。でも誰でもそのようには考えないらしい。他者への不満や愚痴は基礎的なコミュニケーションの一つだ。

 そして僕はそれを共有する際にだけ仲間として認められている。僕は“苦情対応窓口”として存在している。ジョン・サールの提唱した“中国語の部屋”と同じ。僕に自由な意識というものは備わっていない。ただ表層的に正しい応答をする。そんな作業の繰り返しだ。

 ここでの会話は噛み続けたガムのようなものだった。同じことが何度も繰り返されてもうとっくに新鮮な風味は失われているし、おまけにヘドの匂いがする。

 

「帰り送っていこうか」

 外ではポツポツと雨が降り出していたが、曇雨天の空は明るく、本降りの気配はなかった。それに僕は傘を持っている。普段から職場に常駐させていた。

 それでも僕は彼女の車に乗る。とても疲れていた。明け方までゲームをやっていたのだ。ほとんど寝落ちるような形で、一時間ばかりの睡眠しか取らなかった。家に帰ればログイン状態のゲーム画面と、飲みかけのエナジードリンクが待っている。

 そして求められているのは正しい対応だ。彼女の提案を拒否するというのは、可愛げ、が足りていない。若年者として正しく年輩者の好意に甘えなくてはならない。

 もちろんこれは僕にとっても利点があった。自動化された応対は、僅少なリソースを消耗しない。そして適切な行動によって得られる人格的な信頼、そこから生まれる円滑な人間関係は、おおよそ覆すことのできない社会的弱者の地位を容認してもらうために必要だった。

 社会的な活動は“僕”がこの世界に存在するために支払う対価だ。それは生命活動の維持に睡眠が必要なのとちょうど同じようなもので、眠っているときには夢を見るように、一日のうちのいくらかの時間を社会という仮想的な空間で過ごすのだ。

 夢から覚めた時、真実だと思っていた世界が全くのデタラメであったことに気がつく。この場合は少し違って、世界が仮初であると知っているので、僕も仮面を被って過ごしている。社会に生きる僕と真実の僕の間には隔絶と言っていいほどの距離があって、とてもその二つを同一のものとして扱うことはできない。

 そうして今日をやり過ごしている。

「狭くてごめんね」

 彼女はそう謝ったが、車内は一般的な広さで特に窮屈さは感じなかった。彼女自身だってそう思っているはずだ。もちろんこれも基礎的なコミュニケーションの一つだ。

 ダッシュボードに置かれた芳香剤の容器からは柑橘系の香りがする。きっとこれから彼女を抱くことになるのだろう。

 

 成人した男女が閉じた空間で二人きりになる意味を知っている。社会的道徳など動物的本能の前では脆くも崩れ去ってしまうことを知っている。彼女は既婚者で、公務員の夫と大学生の息子がいる。それでも、人間の浅はかな愚かさを僕は知っていた。

 繰り返しになるけれど、僕にとってはぜんぶ仮想の出来事なのだ。たしかに厳密には地続きではあるものの、それはユーラシア大陸の端と端のようなもので、ほとんど別世界と言えるのだ。だから僕はこの不穏な事態もありのままに受け入れる。眠っているはずの主観的意識が遠くの方で気だるさを嘆いている。それだけだった。

 窓に当たる雨が、丸い水滴となって歪な線を描いていた。信号待ちの車の中は、アイドリングストップが云々もはやエンジンの音すら聴こえず、張り詰めた静寂に満ちている。食道のあたりにブロック状の氷を丸呑みにしたような違和感がつっかえていて、どうにかそれを解消したくても、唾を飲み込む音すら気取られてしまいそうな緊張があった。

 目を閉じて彼女の裸を想像する。あまり気の乗らない作業だ。

 腹部には贅肉が溜まり、細かなシワをたくさん作って割れを起こしている。それでも全身の肌は滑らかで、各部で緩やかな美しい曲線を描いている。僕だけが感じているほのかな甘い香りは、僕たちが男女としての一対だということを無慈悲に証明する。年甲斐もなく恥じらう彼女を抱き寄せて甘い言葉を囁いてみせる。若い肉体に触れた彼女は、激しく紅潮しその雄大な花弁を見事に咲かせる。

 ぷくりと膨らむ乳房は仕事終わりのタバコのように、口寂しさをちょうど埋めてくれる。そんな魅了的な丘陵の天辺、色素の濃く集まる大振りな乳頭に、僕は夢中で吸い付く。まさに乳飲み子のように目の前の欲望にどこまでも忠実であり、それ以外は些末なことなのだ。

 下半身に血液が集まっていることを感じる。自らの男性性を証明するがごとくそれを誇示する。彼女が子供のように目をキラつかせ、そして子供が決してしない表情になったことを確認すると、自分の仕事が成功したことに満足する。きっと彼女は何度も僕を求めてくるだろう。そして仕方なしにそれに応じる。関係は今日だけでは終わらない。また次回も、そしてその次も……

「この場所で大丈夫?」

 突然の声に我に返る。うっかり少しだけ眠ってしまっていたようだ。車は僕の家の前に到着していた。

「またあしたね。おつかれさま」

 僕がお礼の言葉を述べると、彼女はあっさり帰ってしまった。……どうやら面倒な事態は自ずから去っていってくれたみたいだ。

 パソコンモニターの前に座る。エナジードリンクはぬるくなっておりすっかり気が抜けて薬くさい砂糖水のようだ。夢が現実に侵食している。その事実に恐怖を覚えながら、僕はしぶしぶパンツを脱ぐ。