うんざりブログ

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輪廻

 

「生まれ変わっても一緒に生きようね」

 彼女はそう言って僕の手を握った。包み込むように重ねられた白い手は、磊落な彼女には似つかわしくないほど繊細だ。僕は何も言わずに彼女を抱き寄せる。息遣いには一瞬の驚きが混じりこみ、それが安らかな吐息へと変わったとき彼女はきっと目を閉じていた。

 返事をしなかったのは何も感極まったからじゃなかった。口を開いてしまえばそこから出るのは野暮な台詞に違いない。嘘はつきたくなかった。だからといって本当のことを言う必要もなかった。美しい髪を撫でる。軽くウェーブした艷やかな黒髪は腰の辺りまで伸びている。彼女は幼児のように安心して身体を預けていた。

 不必要な論理性と現実主義。でも僕にとっては生まれ変わりなど政治家の真摯な答弁と同じ、つまりは決して起こり得ないことだった。少なくとも転生した上で前世を認識できたりはしない。だから来世も彼女と一緒に生きることは不可能なのだ。不必要で野暮な思考。でも僕だってロマンチックを望まないわけじゃない。本当に言いたいのは、だからこそ限りある人生で出逢えた相手を大切にしたいってこと。二度とは訪れない瞬間を君と一緒に生きていきたいってこと。

 残念ながら口下手な僕の話術ではそんな言葉にたどり着く前に彼女を怒らせるに違いない。下唇を噛みながら潤んだ眼で睨みつけてくる、それが彼女の体内でノルアドレナリンが放出された時の表層的反応なのだ。当然のことながらそれはまだ初期の段階であり、もしも問題が即座に解決されない場合には……とにかくこうして黙っているのが一番いい。

 もちろんそんな一面も含めて彼女のすべてを愛している。僕はいま『幸福』を物理的に抱きしめている。それは柔らかな温もりを放っていた。どうだろう、少しはロマンチックな考えだろうか?

 

 もうしばらくの間に僕は死ぬだろう。病気の発覚からまだ半年、いまだに死に対する覚悟は持てていないし、人生に対する整理もついていない。思い出すのは結局、彼女のこと。

 二人の誓った永遠など所詮は数年で終わってしまった。僕らの関係の終わりの過程は複雑で一言ではとても説明しきれない。そしてそれは「すれ違い」の言葉で片付けられてしまうものでもあった。それくらいこの世の中にありふれているのだ。紆余曲折に畝る様々な感情だって結局は「冷めた」の一言に簡潔に帰着する。仕事の都合で遠距離になってやがて段々と……ほら、筋道だってしっかりとしている。納得のいく説明が十分にできてしまうのだ。

 わかっている。僕たちの関係は決して特別ではなかった。でもそれを信じることは決して悪いことでもないとも思う。僕たちの気持ちは、たとえそれが一時的なものであっても嘘ではなかったはずだから。

 あれから他の女性を好きになることはなかった。でも別に彼女に未練があるわけでもない。なんとなく機会に恵まれなかっただけ。記憶はだんだんと薄れていく。それでも、幸せだったという感情だけは忘れていない。そしてこうして時々思い出す。

 僕の行為は、消えてしまった暖炉に手をかざすようなものだ。わずかに残る惨めな暖かさを感じている。もしかしたらその温もりですら思い込みの産物なのかもしれないけれど。

 生まれ変わっても、いや生まれ変わったら、か。遠く離れた彼女は僕の現状を一切知らない。それでいいとも思う。どうか幸せに。

 窓の外では不完全な月が暗い光を放っている。

 

 喜びか、それとも悲しみか、はたまた怒りか。僕に理解できるはずがなかった。とにかく魂の昂りを感じた。僕の小さな体内で爆発し続ける鼓動を抑えておくのは到底不可能だ。声をあげた。耳をつんざくほどの大きな声。

 あらゆる刺激が僕に襲い掛かる。それはこの世界の祝福だった。すべてをひっくり返すような大波がだんだんと穏やかなものへと変わるように、やがて僕は再び夢の世界へ還っていく。次に目を覚ますときにはきっとすべてを忘れているのだろう。

 

「生まれ変わっても一緒にいたいね」

 一度入力し終えたその文章を僕は何度か見直したあげくに結局削除した。さすがにこれは恥ずかしいのではないか。履歴に並ぶたくさんの甘い言葉を前にいまさらそんなことを思う。きっと僕の顔はだらしなく弛みきっている。

 彼女とはもう付き合って三ヶ月になる。文化祭で同じ仕事を担当したのをきっかけに仲良くなり、僕の方から思いを告げた。人生ではじめての告白は今までで一番緊張する出来事だった。本当に心臓が口から飛び出るんじゃないかと思った。

 僕たちは出会うべくした出会ったように思う。まるで神様によって導かれているように、生まれる前から運命づけられた関係なのだ。それくらい僕と彼女は相性がいい。魂の次元で結びついているような感覚があった。

 少し気が早いかもしれないけれど将来のことを考える。きっと二人は結婚するに違いない。幸せで温かい家庭を……
「入るわよ」

 ノックと同時に部屋の扉が開いた。僕はまだ返事もしていない。ノックの意味がない。母だ。何度文句を言っても治す気がないのだ。

「帰ってくるまでにお風呂洗っておいてって言ったよね?」

 いきなり小言がはじまる。ここは素直に反省するほかないだろう。へたに反抗すればより本格的な説教がはじまってしまう。仁王立ちしている母は、こちらの謝罪の言葉を待つ間いつものように下唇を噛んでいる。