うんざりブログ

それぞれ-1/-1の修正を受ける。

優しいあの子は性依存症

 

 記事を書くに際してタイトルというのは非常に重要だと思います。しかしながら自分はどちらかというと適当につけてしまう方です。この適当というのはちゃらんぽらんとかそういう意味ではありません。苦しみの末の諦念の適当なのです。本来であればオシャレでカッコよく深い意味のある最適なものを見つけたいのですが、それが出来ないのであれば多少の敗北を選ぶよりもいっそ最も遠いところに行ってしまおうという考え方です。異性に相手にされないがゆえにアニメーションの世界に逃げ込むのと似ていますね。

 しかしそれでも最近はそれなりに満足のいくタイトル選定ができていると思っています。今回も実にバッチリと本文を表すことができました。賢明な読者諸君はおそらくこれからの展開そして最後のオチまで見えていることでしょうからここでブラウザバックしていただいて構いません。きっと読んでも後悔するだけでしょう。

 

 

 僕は以前から世間で言われる「優しい」というものに疑問を抱いていました。はっきりと言ってしまえば、ただ消極的で攻撃的でないということだけがそのように評価されていると思うのです。

 ところで僕は、こんなブログを書いていることからもわかるように、ネガティブから生まれるユーモアがあると感じていますしそれを特に好んでもいます。日常でもこんな会話をすることがあります。

 会話をしていると中には無意味に正義漢ぶる人がいます。むやみに他人の悪口を言いたくないのか、俯瞰で物事を見られる大人な自分を演出したいのか、とにかく二言目には「まあ相手にも事情があるのかもしれないよ」とか言い出すのです。

 そもそも僕はユーモアの一部として批判という手法を用いているのであって本気でネガティブなだけの話題などを口にすることなどめったにありません。そのような人たちはそれですら許せないのか「まあまあ落ち着いて」みたいな論調で、まるで僕がブチ切れているかのような雰囲気を演出するのです。

 本当に他人を攻撃することを嫌う人もいると思いますが、ここで話題にしている彼らは自分が嫌な経験をすればしっかりと不満を表明するのです。それも大抵の場合はくだらない理由で。それではなぜ彼らが僕の批判に共感して笑うことができないのか。それは彼らには想像力が全く欠如しているためです。

 想像力がないため、大きく膨らませた話や、たとえ話による批判が理解できないのです。もっと言えば彼らはそもそも自分が悪者になりたくないためにはじめから共感する気などないのです。仲裁する中立の立場であれば常に賢者でいられるため彼らはそこを動く気がないのです。

 彼らの話は面白くありません。想像力がないためです。現実におきた話をするしかできないのです。自分の生活の報告になるだけなのでつまらないのです。だから僕がユーモアを出すと「まあまあ落ち着いて」です。

 ここからは想像力のある僕の完全な想像ですが彼らはきっと集団で小動物なんかを虐待したりしていると思います。なぜなら彼らは想像力がないからです。自分がされたら嫌だと思うことができないのです。もちろん実際に自分が攻撃される立場になったら苦しみます。しかしそれが実際に起こるまでわからないのです。なぜならば想像力がないから。

 人は生まれた瞬間には無限の可能性を秘めていると聞きました。彼らはどこで想像力の道を閉ざしてしまったのでしょうか。これはもはや言うまでもありません。ポルノ動画の視聴を繰り返しすぎたためです。

 ある米国医師会の精神医学専門誌によってポルノを大量に視聴する人間は線条体灰白質体積が小さいという研究結果が発表されました。やはり想像力の足りない彼らはポルノ中毒であるということが分かりました。

 攻撃的でない自分を演出する『優しい』彼らはポルノに依存した悲しき人種だったのです。そういえば彼らはしきりに賢者になりたがっていましたね。

 さて前述の通り、賢明な読者諸君はタイトルを見ただけでここまでの結論が容易に想像できたことと思います。無意味な文章を綴るのはここで止めて今日は筆を置くことにします。