うんざりブログ

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今年の秋は短かった

 

 大学を卒業してからのはじめの一年が終わる。今までは学生という身分に帰属意識を持っていればよかった。実際にそれだけが僕の全てだった。唯一の拠り所がなくなってはじめての一年だ。このあいだ僕は何者でもなかった。

 ところで、今年の秋は短かった。

 人類の活動による環境破壊で、大量に排出された二酸化炭素によって、猛暑と厳冬が年々長くなって、などとそんな話ではない。

 今年もしっかり秋の訪れはあったはずなのに、僕の五感はそれを感じることなく通り過ぎてしまった。これはちょっとおかしな事態だった。

 三年に渡る受験生活を終えてから僕は秋の匂いを気にするようになった。秋夜の肌寒さと静けさに響く自然の音は、勉強不足の受験生にたしかな焦燥感をもたらした。蛍雪之功などと言ってはあまりに誇大な表現だが、長くなる夜に合わせて、机に備え付けのライトの点灯時間も増えていった。

 大学に入学してからもその季節を迎えるとなんとなくその時のことを思い出した。かすかに抱いていたような大志が怠けている僕の尻を蹴り飛ばすのだ。わずかに痛みを覚えて、それが心にまで伝播する。ただ心は揺れることなく、痛むだけ痛んで、やがて冬が来る頃にはそれすら忘れていった。

 でもたしかに僕はその痛みを毎年感じていたのだ。それがなにやら自分の人格の中核を築いていたような気がしないでもない。秋の空気の冷たさを感じ取り、それを心をくすぐるような些細な刺激、平たく言えば切ないという感情なのだろうか、として受けとる、それら二つの受容体こそが僕そのものであったのかもしれない。

  だからちょっとおかしな事態なのだ。

 思えば僕には常に未来があった。モラトリアムとはそういう時期ではないか。結論を後回しにしているのだからそこにはまだ想像の余地がある。物語が終わるまでは巻き返す機会は残されている。死体だと思われていた男が、実は一番近くで観戦していた支配者だということもありえなくはないのだ。

 いずれ挽回できる、僕には無根拠な自信だけがあった。自分が特別優れた人間だという幻想は第二次性徴とともに捨てることができた。それでも、なんとなく人並みの人生を送ることくらいはできるのではないかという、態度は持ち続けている。正直に言えば、いま現在でもそうだ。高校を卒業して僕の人生はようやくはじまった。あれからもう十年近くが経った。若い、と言われる時間の終わりはもうそこまで来ているのかもしれない。それでも、まだ完全に何かを諦めるには切迫感が足りない。

 このまま永遠に何かを期待し続けていられるだろうか。物語の完全な結末まではわからなくても、話の大筋は見えてきたのかもしれない。この一年間それを感じていた。かつて無限のように広がっていた道はだんだんとその可能性を狭めていた。漠然とした余裕が薄まっている。

 僕に残されているのは消極的で、望まない選択ばかりで、そのためには僕の尻に火がつく必要などないのかもしれない。いままでの選択は暗闇の中にいるようでその実、外の世界の光や空気が漏れ出ているのを感じられた。でもいまは何の道しるべもない。僕にできるのはこのまま、本当に存在するかもわからない先の出口を目指すか、入り口に引き返して徒労に終わった死んだ時間を数えて後悔するか、だけだ。

 明日から新年度を迎える。僕の暮らしてきた地域では冬のあいだほとんど空が晴れることがない。春を迎えると久しぶりに青い空を拝むことができる。暖かくなった穏やかな空気の中で、分厚い雲に遮られることのない太陽の光を浴びて、長期休業明けに大学に向かう。それが好きだった。ここからまた新しい一歩を踏み出せるような気がした。

 どうやら今年はそうではないようだ。浪費していく季節の一つでしかない。これは、青い春だ。十代だった頃、僕は本当に生きていたのか疑問に思う。誰かに恋をすることも、人生に思い悩むこともなかった。それがここにきてこれほど自分自身と向き合っているのだ。青春の大遅刻だ。

 そういえば僕の人生はいつも周回遅れだ。まずは大学入学からケチがついた。

 愚かな大学生が学業を疎かにしてアルバイトに励んでいたのを冷ややかな目で見ていた。数年後、もっと愚かな僕は週4でアルバイトをしている。

限りない透明とブルー

 

 その鳥はいつも何かを不満に感じていた。目に映るもの、耳にするもの、肌で感じるもの、すべてに怒りを覚えた。

 かつて森の中の湖畔にて喉を潤そうとしたときに自分の姿をはじめてみた。その湖の水はとても綺麗で透き通っていて、水面はまるで鏡のようだった。そのうち近くで小さな魚がピチョンと跳ねて、静かなほとりに穏やかな波紋が生まれた。水中に映し出されていた自分もまたその姿を揺らして、それはだんだんと大きくうねり、やがてまるで判別もできなくなった。

 それと同じことなのだろうか。世界の様相はほとんど自分の心を反映しているものなのかもしれない。鳥が世界を嫌うように、世界もまた彼を排除しようとしているように思われた。水面に映る自分の姿を見た時に感じたことがもう一つあった。それはあまりに奇異な自分の造形だった。醜いと言ってもよかった。それは彼の中に潜む怒りを説明するのに十分だった。世界に疎まれるにも、世界を憎むにも、まったく不足がなかった。この見た目ゆえに蔑まれたために屈折してしまったのか、その醜い心の内が外見に表層化したのか、いまとなってはもはやわからなかった。とにかくこの心の揺れはしばらく収まりそうにないことだけが確かだった。

 みにくいアヒルの子という物語では、この鳥と同様に周囲と違う姿で生まれた鳥の雛が他の鳥から醜いといじめられて巣を追い出される。そして各地を転々とするもやはり迫害されてしまう。だが冬の厳しい寒さを乗り越えて暖かな春を迎えると、雛は美しい白鳥へと成長して幸せに暮らすこととなる。

 しかし残念ながら人間の世界の童話をこの鳥が知っているはずもないし、またこの鳥が立派な白鳥になるというのも同じくらいありえないことだった。だからその結末はきっと違うものになるだろうが、奇しくも物語と同じように、彼は各地を転々とすることに決めた。他の鳥たちからの冷たい視線、なにかに囚われているような息苦しさには耐えられなかった。この世界にはもっと自分にふさわしい場所があるはずだと感じていた。誰にも縛られることなく自由に生きていける理想的な世界が。

 そして生まれてはじめて森を抜け出すことにした。幼い頃から、外の世界では凶暴な猛禽類に狙われやすくなると言い聞かせられてきた。でもいま真に恐ろしいのはそんなことではなかった。このままこの狭い社会の中で地面に積もる落ち葉のように腐り果てていくことだ。肉体的な死はすなわち精神的な死でもあるが、逆もまた然りではないだろうか。

 他の鳥たちはみんな毎日同じことを繰り返して生きている。獲物を見つけては捕食して、幼き雛たちに餌をやり、高らかな声で歌い、やがて眠りに落ちる。循環の中にあっては気がつかないことかもしれないが、ひとたび外に立てば最後、それは実に気持ちの悪い光景に思えてならなかった。そんな生活のどこにいったい自分の意思があるというのだろうか。この歪んだ世界との調和などはじめから取れようはずもないのかもしれない。自分はこの狂った輪廻から外れてしまった存在なのだから。

 生い茂る木々の間を飛び続け、やがて日の光が遮られることのないところまできた。いま彼の前には生涯で初めて体験する新しい世界が広がっていた。眼下には人工的な建造物が集まっている。われわれ人間の住処である街だった。

 人間たちは自由に生きている。きっと鳥のような苦労など抱えることもなく、本能に従って暮らしている。噂に聞く話では、人間は食料を確保できなくて飢えることも、睡眠中に外敵に襲われる心配もほとんどないらしい。あれこそ生き物としての最高の形だ。見渡す限り何もないこの広大で空虚な空で彼はそんな風に考えていた。

 しばらく飛び続けているとある鳥の一団に遭遇した。彼らは『鳥』と同じように社会に馴染めないと感じたはぐれ者の集まりだった。リーダーである鳥が言う。

「我々が理想とするのは各人の生き方を尊重する自由で制限のない社会だ」

 その鳥たちはみな青い羽を持っていた。空の色をそのまま取り込んだような綺麗な青だった。しかしその珍しさゆえに各地で迫害を受けて居場所を失ったのだという。さまざまな相手に羽の色について質問されたりすることがとても苦痛であったらしい。あるひとりの鳥が口を開く。

「ここにきてはじめて本当の仲間を得ることができました。そして同時に自分を肯定することもできたのです」

 その鳥の言葉に一団が一斉に頷く。みんなで考えを共有しているようだった。『鳥』は自分も仲間に入れるのか確認してみた。

「きみは青い羽じゃないからダメだよ」

 リーダーである鳥はさも当然のことであるかのようにそう言うと、一団を連れて飛び去ってしまった。『鳥』はあまりの衝撃に羽ばたくことも忘れていた。揚力を失った身体は物理法則に従って、地面へと落下していく。

 彼らが受けてきたという差別と、彼らが僕に与えたものと、いったい何が違うのだろう。愛の言葉は、愛なき者を否定する言葉なのだろうか。そもそも僕の森にも青い羽の鳥はいた。たしかに珍しい色ではあるために、周囲の関心を引いてはいたが、彼はいたって普通に生活していた。彼らの生き辛さの原因はもっと他のところにあるのではないだろうか。そして集団となり同様の経験を共有することで、被害者意識ばかりが肥大化していったのではないか。少なくとも、彼の目にはそう映っていた。

 どんどんと落下速度は加速していきやがて地表に達するところまできた。そこはいつか森で見たような綺麗な湖の上だった。「僕はこの世界に向いていない」ぼんやりとした頭でそう考えた。水面に映る『鳥』の姿。その羽は奇異なムショクだった。

ブロガーという蔑称

 

 もちろん僕もブログを書いているわけで『なるほど自虐で落としてくるタイプのやつね』と全てを見通したつもりになられているかもしれませんがそれは大きな間違いです。今回のオチは下ネタです。

 

 そもそもブロガーの定義とはなんでしょうか。もちろんブログを書いている人のことなのですが、きっと僕のように暇な時間にポチポチとキーボードを叩いているだけの人間はブロガーとは呼ばないのでしょう。

 一番わかりやすいのはブログによって収入を得ていることでしょうか。広告や有料記事などである程度の収入があれば立派なプロブロガーと言えると思います。ただブログによってお金を稼ぐことを目的にしていない人もいて、それでも多くの読者がいて大きな影響力があればブロガーを名乗っても違和感はないですよね。

 じゃあお金も稼いでいなくて、影響力もない書き手はブロガーではないのかというとそれもまた違うような気がします。たとえば、週末は必ず家の周辺を散歩しながら気になったものをカメラに収める、誰に見せるわけでもないけど二十年間ずっと粘土細工を作り続けてきた、などこういった人達は社会的な承認を受けるわけではありませんがアーティストと呼ぶに差し支えないですよね。それとまったく同じことが言えると思います。結局は本人が自分をどのように捉えるかの一点に尽きるのではないでしょうか。それは活動の長さや頻度、作品の質などに関わらずやはり書き手の意識によって決められると思います。

 そう、まさに僕が主張したいのはそこなのです。だからこそ『ブロガー』は蔑称であると思いますし、僕はブロガーを自称する肉塊共が大嫌いなのです。自分を『ブロガー』などという風に捉え、そんな意識で活動する輩に心底嫌悪感を覚えています。

 

 自称ブロガーなるカス共は文才もなければ独創性もないカスのような記事を量産して「これで有名になっちゃうぞ」とか「お金儲けしちゃうぞ」などと宣ってる最上級のバカ集団です。twitterなどで「ブロガー 面白い」とか「ブロガー おススメ」とかなんでもいいので検索してみてください。「パパさんブロガー@子育て日記」とか「大学生ブロガー@二か月で100000アクセス達成」みたいなハンドルネームだけでブロック安定のゴミをたくさん見ることができます。

 僕はこれをシュールなユーモアだと捉えているのですが「ブロガー つまらない」とかで検索すると「あなたのブログが読まれないたったひとつの理由」とか「面白いブログを書くための6つのポイント」みたいな記事がでてきて当然死ぬほど中身のないつまらないことをほざいてきます。これ自体がつまらないブログ記事のお手本なのですよ、みたいなメタ的ギャグかと思いきやどうやら大真面目な記事のようで、何より恐ろしいのがそんな新聞の折り込み広告より目の通す価値のない文章を量産しているブログが高い人気を誇ったりしているところです。

 いったん落ち着きましょう。この文章に多分の私怨が含まれていることは自覚しています。ただ理解してほしいのは僕のブログと比較してどうとか、僕の方が面白いとか言ってるわけではないのです。この世に蔓延るクソブログがすべて消滅してくれるなら喜んで僕も消えることにしましょう。僕が奴らを後ろから羽交い絞めにするのでどうか魔貫光殺砲で諸共消し飛ばしてください。

 

 クソブロガーの文化はいったい何なのでしょうか。クソブロガーなどと言うと底辺の書き手を指しているように感じられると思いますが、実際はいわゆるトップブロガー達から下った文化なのですよね。つまり現代のブログ文化そのものが終わっているということになります。

 僕もまったく詳しいわけではなくてなんとなく自分で感じたことを書き連ねているだけなので誤りがあればぜひ訂正してほしいのですが、そもそも底辺の彼らはトップブロガーに憧れて、その真似事をしているに過ぎません。トップの書き手が作り上げる文化に追従しているわけですから、クソの元を辿っていけばより強烈な悪臭を放っているに決まっています。

 アクセスを獲得するためだけの、話題性の高いテーマ、誰が書いても大差ないような作り上げられた書き方、一見するだけでブラウザバック確定させるブログデザイン、そんなフォーマットの上で脱サラ生活、人と変わった生き方などを語るのだから滑稽でしかありません。

 

 とても悔しいことに僕のブログ界隈に対する知識があまりにも貧弱なためにもっと正確な言葉で奴らを攻撃することができません。ブログを芸術などと言ってしまってはあまりに大仰かもしれません。しかしある種の創造の場であるこの地を、アクセス数とそれに伴う収入だけを目当てに、土足で踏み荒らす、人間的感性の欠落した野蛮人ですから、まともな人間の興味を引く内容など書けようはずもありません。

 冒頭の話に戻りますが、ブログの書き手はブロガーを名乗った瞬間に書き手として死ぬと思っています。たとえばスパイが自分の素性を明かすでしょうか。それをした瞬間にプロ失格ですよね。AV女優もそうです。素人だと思うから抜けますよね。ブログに関してもそれとまったく同じです。

 

 昼下がりの教室。開いた窓に吹き込む柔らかな風がベージュ色のカーテンをふわりと揺らしていて、そこから差し込む太陽の光が綺麗に並べられた机のひとつに暖かな影を作っている。クラスの男子のほとんどはグラウンドでサッカーをしていた。いつもそうだった。少し前にガキ大将がボールを抱えながら大勢を引き連れていくのを見送ったばかりだ。実は先週までは僕も参加していた。足の速さに自信のある僕は前線で攻めることが多かった。

 でもいまは自分の席で本を読んでいる。学級文庫に置いてある『世界偉人列伝』がとても面白いのだ。世界中の、顕著な功績を残した人々の生涯について書かれた本だった。彼らの素晴らしさはその類まれなる才能だけでなく、逆境でも決して諦めることのない強い心、そして正しく生きることのできるその人格にあった。

 僕もこんな風に生きたい。後世に名前を残すような成功を収めたいというわけではない。たとえ誰に認められることがなくても、自分自身に誇りを持てるような、そんな立派な人生を歩みたい。おおよそ洗脳に等しいような、何かに簡単に影響されてしまう浅はかな理性ではあったが、こうして正しい生き方を望んだ幼き僕の前にはたしかに無限の可能性が広がっていた。

 

 ピピピと音が鳴って、ほとんど無意識に音源の方に腕を伸ばす。目的はこの忌まわしい音を止めることなのだけれど、今日はどうにも上手く摑まえることができない。そのうち意識の方が追いついてきて、朝を迎えて、時計のアラームを消さなくてはいけないことを理解する。

 数刻前までたしかに小学生だったはずが、いつのまにか立派な社会人になっていた。現実だと思い込んでいた世界は急速に遠ざかっていき、まるではじめから何もなかったかのように無くなってしまった。今となってはもう覚えてすらいない小学生の僕の決心は、時間的にも、意識的にも、もはや隔絶されてしまっていた。立派な人間になりたいなどという思いは、社会に揉まれるうちに、いやきっともっとずっと前から、失われてしまっていた。

 別に、悪人になったわけじゃない。ルールを破ったりはしないし、困ってる人がいれば助けたいと思う。でも自分を犠牲にしてまで他人に尽くすことはできない。僕は普通の人だ。もしかしたら、世界を救う英雄になることも、大悪党になることも、あるかもしれない。でもきっと僕はそんな人をテレビのニュースで見ることになる、ただの平凡な人間だった。僕はいわゆる社畜だ。嫌いなものは満員電車と上司の怒鳴り声。でもそれをほとんど毎日経験しなければいけなかった。僕の人生は誰かに語るべき価値はないのかもしれない。それでも自分なりに懸命に生きていた。

 その日はひどい雨だった。家を出るときは少し晴れていたくらいなのに、電車が最寄りの駅から出るころには大粒の雨が勢いよく降っていた。不幸なことに傘を持っていなかった。折り畳みの傘をカバンの中に常備しておこうと思っていたはずだったのに。晴れ模様に浮かれ厄介事を後回しにした先週の自分を呪った。結局、会社にはずぶ濡れの状態で到着した。周りには同じような状態の人も数人いたが、仲間ができたからといって別に気が晴れることもなかった。上司には気が抜けていると怒られて、ついでに前日の仕事についても朝一番から怒られた。理不尽な内容だった。何から何まで理不尽だった。でもこれが僕の仕事なのだ。この理不尽に耐えることも仕事の一つだった。上司の虫の居所が悪かったのか、結局その日は、いつもの倍近く怒られることになった。

 帰りの時間になってもまだ雨は止んでいなかった。朝よりは少し小降りになっていた。電車に乗り込むと、運の良いことにいつもより空いているようだった。扉に近い場所を選んでつり革を握って待つ。やがて発車のベルが響いて、僕の身体は慣性を受けて、進行方向反対に倒れそうになる。僕からの圧力を受けた隣の男性が少し嫌そうな態度を見せた。僕のスーツが濡れていたからかもしれない。申し訳ないなと思うと同時に、仕方ないじゃないかという気持ちもあった。居心地の悪さを感じて、視線を車内の中吊り広告に向けた。その広告には週刊誌の記事の見出しが書かれていて、男性の欲情を誘うような刺激的なものもあった。正面の座席には女性が座っていた。綺麗な顔立ちをしていた。

 その夜、僕は久しぶりにお酒を飲んでいた。もともとあまりアルコールに強くない体質であったため積極的に飲むことはほとんどなかったが、その時はなんだかとても酔いたい気分だった。ストレスが溜まっていたのかもしれない。嫌なことを忘れさせてくれる、気持ちのいい晩酌だった。少し飲みすぎたことを除いては。

 繰り返しになるけれど、僕は普通の人間だ。でも普通の人間でも、普通の人間だからこそ、過ちを犯すことがある。誘惑というものは日常のあらゆるところに潜んでいて、常に僕たちの耳元で囁いているのだ。誰しもが、耳を塞いで、目を瞑って、まるでそんなもの存在しないとでも言うように無視するようにしているのだけれど、ふとした瞬間にそれを自覚してしまうことがある。そうなってしまうと却って誘惑の引力は強まるばかりで、懸命に振り払おうと努めるのをあざ笑うがごとく、呪いのように頭の中に張り付いてしまったりする。そうでなければもっと急進的に物事は進んで、僕たちが成長する中で身につけてきた社会性や、ただの肉体を人間たらしめている根源的な理性も、そのすべてを超えて、ただ一点の欲望が一瞬にして支配することもある。僕の場合は後者だった。

 思えば、僕たちは欲望と理性の狭間で揺らぎ続けながら、いつだって戦い続けてきた。それは常に望まれない勝利だったに違いない。いつだって後ろ髪を引かれる思いを残してきたのではなかっただろうか。そんな気持ちもやがて時間の経過とともに薄れていき、僕たちはとっくに理性の皮を被っていて、戦いなどなかったかのような顔をしてきた。

 そしてついに僕は敗北に選ばれてしまった。敗北というのは冷静になって後から気がついたことであって、その瞬間には選択をしたという自覚すらなかったのだ。僕の中にわずかに宿る社会性や理性や道徳などが、一応の葛藤を演じさせてはいたが、はたしてその戦いですらもはやめくるめく快楽への布石でしかなかったのだ。このままでは誘惑に溺れてしまう——かすかな意識の中で理解はしていたが、もはや僕には抗う術はなく、道を踏み外しかねないそんなギリギリの背徳感を楽しんですらいた。まだ戻れる、まだ戻れる、ここで戻らなくてはいけない、と虚しく唱え続ける理性を無視して僕はついに一線を越えていた。

 その欲求はとても強烈だった。他の何かでは到底代替することのできない、ひどく原始的で、粗野で、剥き出しで、凶暴な、快楽だった。僕の持ち合わせたちっぽけな尊厳など一瞬にして吹き飛ばしてしまった。僕は夢中で、その甘美で優雅な、生物としての根源に響くような欲望を味わい続けてい……ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ、しまった、寝坊だ。

セミ

 

 あれは小学六年生の夏休み、相も変わらずひどく暑い日のことだった。僕を一日のあいだずっと天から睨みつけていた太陽はとうとう西の彼方にその姿を隠してはいたが、最後の抵抗とばかりに空を橙色に染め上げ、気温こそ少しだけ下がったものの、辺りの空気はジメジメとする一方で却って過ごしづらさを覚えた。

 そういうわけだからお風呂上がりの僕が真っ先に向かったのは居間に置いてあるやや古びた扇風機の目の前に決まっていた。三段階ある風量スイッチのうち迷わず「強」を押すと、三枚の青い羽が勢いよく回転しはじめて綺麗な円を描いた。肌の表面に残る水分が乾いていくと同時に心地よさを感じる。この時は気化熱だなんだとは知らなかったけれど体感で理解していた。そのためにいつもきちんと身体を拭かないで脱衣所から出るようにしていたくらいだ。

 続いて僕は自分の部屋に向かい机の上に置いてある漫画雑誌を手に取った。月刊の分厚い少年誌で僕たち小学生男子から絶大な支持を得ていた。もちろん僕も毎月購読している。今日のプールの帰り道に近所の本屋で買ってきたのだ。雑誌の隣には夏休みの宿題が置いてある。算数の計算問題、国語の書き取り問題、日記帳など、全部合わせると漫画と同じくらいの厚さがあった。夏休み前日に学校から帰ってきて、ランドセルから取り出して机に置くと、そのあまりの威圧感にゲンナリしてしまった。宿題などすぐに終わらせて残りの休みを一切の心配事なく満喫すると決意していた終業式の僕はどこへやら、積み上げられた大量の冊子はただの一度も開かれることなく威風堂々と机の大部分を占拠し続けている。動かざること山のごとしと言わんばかりである。それならば僕もとことんまで付き合ってみせよう、安易に少しずつ消化するなどというのはあまりにも卑怯な姿勢ではないだろうか。いやそうに違いない、などと考えてるうちに気がつけば元の居間へと向かい、一度そこを通り過ぎて、台所まで侵略するとこれまた立派な風格の冷蔵庫の足元からアイスキャンディを拝借して、わが本陣、扇風機の前へと凱旋を果たした。

 居間の引き戸の向こう、いま自分が歩いてきた縁側、さらにその奥に見える庭の木にセミが留まっていた。このとき外を見た理由はいまでも判然としない。無意識に移ろう視線で捉える有象無象の光景から、どうしてこの一匹だけが意識を支配したのだろうか。とにかく僕はそのセミを見つめることになった。なんだか気になったのだ。

 セミは声をあげて鳴いていた。ジリリジリリと大声をあげている。辺りには他のセミの声も響いていた。だから僕が聴いている声がそのセミのものなのかどうか本当はわからなかった。ただ僕にはそのセミが力の限り叫んでいるように思えた。別に理由はない。今に至るまで手を抜いて鳴いているセミがいると感じたこともない。だからすべてのセミは叫んでいるのかもしれないけれど、それでもそのセミは叫んでいるように思えた。

 しばらく僕の眼球は固定されたままだった。もしかしたら本当はそんなに長い時間でもなかったのかもしれない。少なくとも手にしたアイスキャンディは溶けていなかった。でも一瞬とも思えなかった。いずれにしても彼は何かを訴えるように鳴き続けたあと、ポトリと木から剥がれた。「あっ」と僕は声を出した。腹を空に向けて地面へと落ちていく。その過程を僕はすべて見ていた。時間の流れがとてもゆっくりだった。やがてその身体が地上へと達するというその瞬間に、背後でドサリとものすごい音がして、僕の身体はやむなく半回転することを余儀なくされた。そこにあったのは人間の死体だった。

 後から起きた出来事があまりに衝撃的だったので、もしかしたら実際以上に強調されて記憶されているのかもしれないけれど、それまでの時間はなんだかとても奇妙なものだった。緊張の糸というものが目に見えて触れてしまえそうなほど、それが切れてしまえば二度とは繋がらないと確信できるほど、張り詰めていた。たとえば誰かに背後から驚かされでもしようものなら、瞬く間に白痴にでもなってしまうのではないかと思うほど、僕の意識はある種の鋭敏さを持っていた。

 しかし突然、目の前に出現した人間の死体というのはあまりに非現実的だったので、理解の程度をとっくに超えてしまったのか、僕の精神は壊れることなく済んだ。ただ理解できないということに変わりはなく、そのために目一杯稼働した僕の頭脳に異常が発生したのか、僕は声をあげることも忘れて、ただボンヤリと、お母さんに怒られちゃうな、などとトンチンカンな心配をしていた。

 その死体はとても奇妙なものに思えた。本物の人間の死体を見るのははじめてだったし、それが空から降ってきて部屋の中に現れるなどというのも当然未知の体験だった。突如として非日常を彷徨うこととなった僕が『普通』の感覚で世界と接触していたかというと疑わざるを得ないのだけれど、居間に転がる見知らぬ男はその発生の特殊さを無視しても実に不思議極まっていた。年齢はだいたい三十歳くらいだろうか。もしかしたらもっと若いかもしれないし、その反対かもしれない。とにかく形容し難い容姿をしていた。一瞬でも目を離してしまえば、まるで違う見た目に変容していて、僕はきっとそれに気がつくこともないまま受け入れる。特徴がないとか、凡庸とか、そんな表現ともまた違う。たとえこの死体に三つの眼があったり、肌の色が紫だったりしても、結果は同じに違いなかった。まるで脳が詳細な認識を拒んでいるようだった。

 その男は僕を見ていた。その瞳は、生の灯を失ってもなお、真っすぐに僕を見据えていた。まるで何かを訴えているようだった。そのまましばらく僕らは見つめ合っていた。このまま永遠の時が流れてしまうような感覚があった。もしかしたらもうすでに信じられないほどの時間が経過していてもおかしくなかった。

 でもそれらはすべて錯覚だった。僕が死体の頭の側に少しだけ移動すると、死体は僕を見るのをやめて、かわりに僕が見ていた庭の木を見るようになった。死体はただ虚空を見ていたに過ぎなかった。眼球の向く先に僕が立っていた、ただそれだけのことだった。改めてその瞳を見てみると、そこには何の想いもなかった。かつて生命が宿っていたことが想像できないくらいに、その肉体は空っぽだった。

 永遠の虚無を抱くその男に尋ねたいことはたくさんあったが、そのどれにも答える気はないようだった。全ての面倒事は僕に任せると言わんばかりの態度で他人様の家の一等地で寝そべっている。もはやなすすべなし、と途方にくれていると、ガラガラと玄関の扉が開く音がした。お母さんが買い物を終えて帰ってきたのだ。後にも先にもこれほど安堵した瞬間はない。世界を再び取り戻したような感覚があった。それにしてもこの惨状をどう説明するべきだろうか、可能な限り思案したが、結局立ち尽くす以外の答えは見つからなかった。

 両手にスーパーの袋をぶら下げたお母さんは、居間に転がる知らない男の死体と、その傍に立つ僕を見て「靴は脱いだら揃えなさいっていつも言ってるでしょ」といつもと変わらない文句を言うだけだった。我が家のルールでは、他人の家で死ぬことよりも靴を脱ぎ散らかすことの方が罪の序列が上という可能性もあるが、どうやら今回の場合は、男の姿は僕にしか見えていないということらしかった。救いを求めるような気持ちで母親を見つめたが、チラリとこちらを見るだけで、買ってきた食材を冷蔵庫にしまう作業に取り掛かってしまった。「そんな顔するくらいなら何度も同じこと言わせない」と注意が重ねられただけだった。

 ここで僕が死体のことを口にしても状況が良くなることはないだろうと思った。きっと頭と心の病気を疑われて病院に連れていかれるだけだろう。もしも僕にしか見えないものならば、現実には存在していないものならば、その方がいいのかもしれない。とりあえず受け入れてみることにした。

 しかし、死体のそばで食事をするのはあまり気分が良いものではないので、眠いフリをして部屋にこもることにした。その日の晩御飯は好物のカレーだった。

 部屋に戻るとひどく疲れていた。あれだけ楽しみにしていたマンガも読む気がしなかった。しばらくベッドに横になっていたが、どうにも眠ることができなかったので、自分でも驚くべきことに、山と積まれた宿題と向き合うことにした。結局、その日のうちに半分ほどの宿題を終わらせることができた。

 翌朝、恐る恐る居間に向かってみるとそこに男の死体はなかった。昨日の残りのカレーを食べていると、セミが鳴きだした。庭の木に目を向けたが、そこにセミはいなかった。もっと遠くで鳴いているようだった。昨日のセミは木の近くに落ちているだろうか。少しだけ気になっていたが、おかわりしたカレーを食べているうちに、いつのまにか意識の外へ立ち去っていった。

 

 自宅に戻る。洗濯物が放り投げられているソファー、Fコードが引けなくて挫折したエレキギター、巷で人気のアイドルのポスター、無表情の男の死体、飲みかけのお茶のペットボトル、実家からの仕送りが入っていたダンボール。

 床に転がる死体はもう数か月も前に現れたものだ。小学六年生の夏にはじめて体験して以降、僕はずっとこの現象と付き合ってきたことになる。最初はとても混乱していたが、いまではすっかり慣れてしまった。何度か邂逅するにつれてこの男についての理解も進んでいた。彼は僕が無為で怠惰な生活を送っていると空から降ってくるのだ。空から、と言っても実際はどうなのかわからない。いつもドンと落ちるような音が聴こえて気がつくと床に伏せてこちらを見ている。天井や屋根の有無など関係なく出現するため、部屋の中にいきなり現れてる可能性もあるが、もう少し高いところから落ちてきたような音がする。そして僕が何か生産的なことをはじめるまでずっとそのままでいるのだ。

 夏休みの宿題を放置していたり、学校の部活動をサボッたり、未成年なのにタバコを吸ったり、好きな女の子に告白するか悩んだりした時、いつも僕はこの無表情の男と部屋を共にすることになった。僕自身が認めている通り、大抵は無為で怠惰な生活が原因なのだから、それを解消すること自体は僕のためになることがほとんどだった。そういう意味では、恐るべき話だが、この男は訪れるべき姿を間違えただけの導きの天使と言えなくもなかった。

 しかし時には、原因がわからない時もある。女の子に告白するかを迷っていた時に、突然現れた死体はいったい何を求めているのか不明だった。早急な決断を迫られているような気がして、不本意ながら背中を押されるようにして、僕は思いの言葉を綴った。そして結果は惨敗だった。悲しみに暮れながら家に帰ると冷たい肉体はまだそこにあった。結局、僕がその女の子への想いを忘れるまで、消えることはなかった。

 今回も同様だった。はたして何が原因なのか皆目理解は困難だった。僕が成長するにつれてこの現象の頻度は減っていた。大学を卒業する頃にはほとんど見なくなっていた。最近では日々の忙しさに追われ、もはや怠惰な生活など頼まれても送れるような状況にはなかった。しかしなぜかこの死体は少し前に現れてからずっと僕の部屋を占拠していた。死体は初めて現れたあの日から何も変わってはいなかった。いつの間にか僕はこの男よりも年上になってしまったかもしれない。ただ明確には断言できない。相変わらず死体の顔の描像は安定しなかった。

 それからしばらくの歳月が流れた。まだ死体は消えてはいない。僕はこの間にタバコを吸い始めていた。どうしてこの死体が消えないのか、僕にはひとつの見当があった。今日はそれを証明したいと思っている。でも本当のことを言えば、それが正しくても、間違っていても、どちらでもよかった。

 まずは散らかった部屋の片づけからはじめよう。かつて部屋を汚した時にも男は現れた。正確に言えば、住環境が荒れたせいで勉強に集中できなかったためかもしれなかったが、いずれにしても片付けをすることで男はいなくなった。でも今回は男が現れてからの期間があまりにも長かったため、また元の原因が特定できなかったために、部屋の整理はずっと後回しにされていたのだ。別にこのままでも良かったのだけれど、なんとなく綺麗にしておきたい気持ちがあった。

 数時間ほどかけて清掃が終わった。部屋はすっかりと綺麗になっていた。対照的に、床に転がる死体の奇妙さが際立った。壁に鹿の剥製が飾ってあって、隣に虎の絨毯が敷いてあれば、非常に趣味の悪いオブジェに見えなくもなかった。

 ベランダに出てタバコを一本だけ吸うことにした。向かいに建つアパートの一室でも同じように小さな明かりが灯っていた。なんだか気まずくなってすぐに部屋に戻ってしまった。気がつくと死体は消えていた。もしかしたら部屋を掃除したためだろうか。きっと違うだろうな、いよいよ僕は確信を深めていた。

 部屋を出ると、少しだけ寒さを感じた。陽が落ちてから出かけるにはやや薄手の格好で出てきてしまっただろうか。さっきベランダでタバコを吸った時には気にならなかったので、建物を挟んで風の吹き方が違うのかもしれない。目的地に向かって歩きながら、僕は辺りをキョロキョロと見回していた。それは僕自身も意識していない行動だった。すべてを受け入れたつもりでも、どこかで救いを求めていたのだろう。そしてそれは都合よく路上の片隅に落ちていたりはしない。

 フェンスにもたれながら僕はある男を待っていた。さきほど部屋からいなくなった、あの死体だった。でもしばらくしても現れることはなかった。きっとあの瞬間が最後の別れだったのだ。わかっていたはずだ。だからこれでいいのだ。

 無為で怠惰な生活を送っていると彼は現れる、そしてその原因を解消しようとすると消える——僕の推論は正しかった。これだけが僕が成した正しさだった。そのほかはすべて間違っていた。そういえば、僕の愚鈍な頭はいまさらながら、ひとつの事実にたどり着く。あの男は他ならぬ僕自身だったのだ。