うんざりブログ

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むかしむかし

 

 母曰く。

 私の生い立ちというのはそれはそれは奇妙なものだったようだ。

 ある日のこと。私の母が表の川で洗濯をしていると上流の方から見たこともないほど大きな桃が悠然と現れた。それは人間の赤子よりも一回りほど大きく、しかも周りに傷一つなく珠のように光り輝いている。

 この河川の水源はおそらく村の向こうに見えるあの大きな山の中であり、少なく見積もっても数里になろうかという長い行程である。それだけのあいだ水の中でプカプカと浮かんでいたにも関わらず、その柔らかな果肉に一切の痛みがないというのはちょっと驚愕ではないか。桃といえば果物の中でも特に足が早く、繊細な扱いが要求されることで知られている。つまりこれまでの説明だけでも非常に奇異な出来事が起こっていることがおわかりいただけただろう。

 不要かもしれないがここで少しだけ補足をしておこう。つまらぬ誤解が生まれるよりは冗長の方がいくらかマシに違いない。さて、件の桃が水源付近から私の家まで移動したという確たる証拠はなく、母の目視できる距離の直前で入水したということも十分に考えられる。つまり実際の移動距離はごくわずか、せいぜい数町だったというわけだ。

 これに関しては特に反論はしない。その通りかもしれないし、そうでないかもしれない。しかしたとえ桃の移動がわずかであり、したがってその柔らかな果実の状態についての謎が解明されたとしても、はたしてこの桃がどこから出現して、そしてこれほどまでに巨大であるという、より難解な疑問に関してはまったく手つかずのままなのである。だから仮に前述の説明が事実をやや誇張していたとしても、この話全体の有する奇特さは一向に失われることはないのだ。

 閑話休題。桃を川から引き上げた母は、何を血迷ったか家へと持ち帰ってしまった。履き古した襤褸の草履ならいざ知らず、それほど美しく立派な果物であれば何か裏があると考えるのが普通であろう。御上への献上物という可能性もあるではないか。幕府に対して盗みを働いたとなればこれはもうとんでもない大罪である。本人は釜で茹であげられて殺された後、一族郎党まとめて処刑にされてもおかしくない。しかしやはり奇妙なことにどれだけ経っても桃の持ち主などという人物は現れず、遺失物法の定めるところにより、その見事な落とし物は晴れて母の所有するところとなった。

 とにかく母は家に帰り、中心部に暖かな輝きを見せる果実を真っ二つに切った。すると驚くべきことにそこに瑞々しい果肉などは詰まっておらず小さな赤ん坊が静かに眠っていた。それが私というわけだ。俄かには信じがたい話だとは思うが、母は真実だと言って憚らない。もちろん私もそれを信じていた。なにせ人の少ない場所で暮らしていたのである。母以外の人間とはじめて会ったのはずっと後のことであり、私の世界は母だけだったのだ。

 ところで母はかつて結婚していたらしい。しかし私が産まれる前に父は亡くなってしまったとのことだった。山で芝刈りを行っている最中の不幸な事故だった。母はその人のことをあまり話したがらなかった。

 やがて順調に成長した私は一つの使命を帯びていた。それは近くの島を拠点に活動している『鬼』を退治することである。鬼は人々から金品を強奪し殺し回る暴虐な生物であった。奴らを殲滅して人々に平和な生活を取り戻すことが母の何よりの願いだった。

「鬼を殺して……鬼を……」

 臨終の床でまるで呪詛のように母は呟いた。幼い頃から鬼への憎悪を聞かされて育ってきた。数年前に病に伏せてからは、自分に残された時間が少ないことを感じたのか、いっそうその思いに取り憑かれていたようだった。焦燥感に心を焼かれ、肉体よりもよっぽど先に精神の方がおかしくなっていた。

「桃から生まれた桃太郎よ」

 かつて私の名前を教えてくれたことがある。教えてくれた、とは我ながら何とも奇妙な言い回しだ。しかし実際、母はこうして名付けておきながら結局ただの一度も私の名前を呼んでくれたことはなかった。

 母の死後、私は家を出た。母の願いを叶えるためだ。最後まで私は母の望む息子でいた。きっと上手く演じることができたはずだ。それが忌み子である私を、歪んだ形ながらも育ててくれた母にできる唯一の親孝行だった。母の話を信奉してあげることが彼女を救うための、たったひとつの冴えたやりかただった。

 しかし私は母が望むより多くのことを知っていた。たびたび母の目を盗んでは近くの集落まで遊びに行っていた。そこではじめて自分たち以外の人々と出会い、さまざまなことを知った。「鬼」という生物は存在せず人間の野盗の集団がそのように呼ばれていること、かつて母の家族が鬼に皆殺しにされたこと、人間は桃からは決して生まれないこと。

 私は母を愛していた。だから彼女を苦しめた相手に復讐する。たとえその結果命を失うことになったとしても。

 私は母を憎んでいた。だから彼女に復讐する。たとえ私という存在が望まれない生命だったとしても、私自身だけは私がこの世に生まれた事実を否定したくない。私は母の子なのだ。

 誰にも呼ばれることのなかった桃太郎などという名前は捨てた。今日からは膣から生まれた膣太郎だ。